- 2007-09-13 (木) 15:56
- 教育

大学も卒業して、大学院でフラフラしていると常に頭をもたげてくること。 「そもそも学校で教えていることは必要なのか」
今日なんかも朝からブログのカスタマイズしながら、ネットを彷徨っていると、 読まなきゃいけないor読みたい本・雑誌・ブログは次から次へと 出てくるし、アニメや映画といったコンテンツも鑑賞したいものが山ほどある。 今まで生きてきて、ここまでこういう情報を渇望している時期もない。
その一方で、今まで入ってくる情報のほとんどは学校で教えられること。 そんなにガリ勉していたつもりはないけど、結局は英単語覚えたり、数式使えるように したり、そういうことばかり。それに人生の大半を費やしてきた。 なるべく多くのことを知ろうと、科目を偏ることなくがんばってやってきたけど、 現在の自分が欲するものには何一つ足りていない。
もちろん、得てしまったから必要ないと思っているだけかもしれない。 もしも学生時代に本やアニメやに時間の大半を費やしていたら、 理科や社会の知識が欲しいと思っていたのかもしれない。
問題は、どちらが役に立つのかってこと。数式覚えたって、やっぱり 何の役にも立たなかった。せいぜい、数式を見ても拒否反応を示さない程度で、 それが何の役に立つというのか。それぐらいだったら、学校でメディアリテラシーについて 教えて欲しかった。人間にまず最初に教えるべきは、情報そのものよりも、 それをどのように手に入れるかということだろう。僕にとって学生時代は その手段はテレビだけだった。ネットはそういう用途に使っていなかった。 本も大して読まなかった。
今になって、情報を得る手段の多さに戸惑っている。ラジオもあるし、ネットもある。 本も雑誌もあるし、何より、「人」がある。それを教えてくれた人はいなかった。 やっとぼんやりと気づきだして、それらの手段を使う術を鍛えてこなかった自分は ひたすらに困っている。学校で教わったことなんて、何一つ役に立たない。 やっぱり学校で教える内容を間違えているんじゃないか。というか、足りないんじゃないか。
漢字の読み書きや九九を覚えることは必要だろう。理系の人の考えを理解するために 物理や化学や数学は必要だろうし、ビジネスには経済や法律、何だって基礎知識として 必要ではある。だが、量が多すぎる。僕は高校の時点まではほぼ全て把握しきれていたが、 大学からはあまりの幅の広さに全ては不可能となった。あんまり勉強が好きでない人に とっては小学校の内容ですら幅広すぎる。
つまり、誰にだっていつか知識を教えるだけでは幅の限界が来る。そうなったときに、 取捨選択が必要だろうし、必要になったときに振り返って取り戻すことも必要だ。 なのに、だれもそういう方法は教えてくれない。だから、社会人になって あの時真面目に勉強してれば…、とつぶやくばかりで大学に入り直して勉強したり、 というのがメジャーな手段とならない。ネットを探せばそういう基礎知識はゴロゴロしてる。
逆に、情報が本当に正しいかを見極める術だって誰も教えない。もちろん、そんな術に 絶対は無いから、教科書の様に教えることはできない。こういう術は全て自分の経験で 判断するのだから、過去の事例だったりを研究することで鍛えられるはずなのに、 学校ではそういうことは全くしていないくて、ある人はサークルでやってたり、 ある人は2ちゃんねるで勉強したり、そして多くの人は正しくないということに 気づいてすらいない。
学校という組織が単に教養としての知識を教えるだけだというのなら、 そんなのが若者の生活の中心になっているというのは解せない。 世界史上いつからこういう学校というものがあるのかは知らないけど、 なんで学校で学ぶことが当然ということになっているのかがとても不思議だ。 知識を得るだけなら、何もそんな時間をかけなくてもいい本はいっぱいあるし、 予備校の先生の方が教え方が上手だったりする。
教育をしたいという気持ちもある。それは憧れの先生がいたからとかいうことは全く無く、 むしろ文字通り反面教師ということ。学校の先生というものは学校という組織が出来てから やることが変化していないんじゃないか。そして、もうそろそろ時代に合わなくなっているのではないか。 どうせみんな塾に行ってるんだたら、知識は塾で付けて、その分学校に行っている時間は スポーツで体を動かす勉強をしたり、詩文に耽ったり、さらに自分で何かをクリエイトする経験を して、失敗をたくさん経験することの方がよっぽど役に立つと思う。というか、自分は そうしたかったという思い。数学や社会など学校教科なんて、失敗が無いし、 自己表現の余地がないということに、やっと今気づき始めた。勉強で得た経験なんて、 多分これからの人生でそんなに役に立たない。合間でがんばった柔道や、暇な時に読んだ少しの本や アニメの方がよっぽどこれから役に立つ。
さて、こういうことを書くのは勝手だし思うのも勝手だ。あとは1歩踏み出せるか。 クリエイト=1歩踏み出すということ。その1歩の踏み出し方も、踏み出す経験も、 学校は何も教えてくれなかったし、しなくて良いと教えられた。そんなわけないだろ。
ということで、たまにはアニメの感想以外も書かないと、ブログとしての存在意義がね。 本来はもっと下調べして、リンクや引用をたくさんしないといけないけど、 そういうやり方も誰も教えてはくれない。結局、自分でなんとかするしかないのか。 その時間はどこから作るのか。さぁ、また迷いが始まった…。
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