- 2007-09-23 (日) 22:09
- コラム
コンテンツの原島先生の授業に感動しました。原島先生は、専門は通信工学ですが、 学際的な新しい学問として、顔学を作りだし、顔学会を作ったことで有名な方です。 新しい科学をつくり出すという「サイエンスプロデューサ」という顔も持っているということで、 プロデューサ論をお話しされていました。それに激しく感動した次第です。
が、いつもの様にあまり細かいことは書きません。ともかく、自分がやりたいと思っている、というか 思っていたことは、プロデューサだったんだと再確認ができました。以前書きましたが、 世の中はアクタ・ディレクタ・プロデューサに分けられるという理論を原島先生もいっておられて、 この分類も間違っていないと確信しました。
マスコミが取り上げたり、学校の先生が教えてくれたりする職業は実はほとんどアクタです。 小学生のなりたい職業とかを見れば、すべてアクタでしょう。例えばプロスポーツ選手や 漫画家、学者など。小学校のころはこれでいいと思いますが、中学高校では、ディレクタ・プロデューサという 職業があるんだということを、もっと啓蒙してほしい。知らずに育った自分は、大学院まできてやっと 自分のやりたいことがすっきり合う職業を見つけられるという事態。
今日の話を聴いて、なぜ自分が研究室配属になった途端に研究に対する興味を失ったのか 理解できた。ひとつには、研究職もクリエイタ、つまりアクタだということ。僕はともかくアクタでは ないんだ。今までいくつもアクタになれないかと思ってみたが、結局どれもダメだった。その一つとして 研究職も計上できるということに今日気づいた。もう一つは、僕のイメージしていた学問と実際の 差である。あくまで僕は大学の研究はアカデミズム科学、つまり自分の好奇心に従って研究する ものだと思っていた。でも、そんな構造はバブルを経て大きく変わっていたことを知らなかった。 企業が研究所で基礎研究をやる体力がなくなった昨今は、企業は国にお金を出させて、 自分たちに利する研究を大学にやらせ、その成果だけをすいだしているという構造なのだ。 知らなかった。だから、どうしても研究室の雰囲気になじめなかったわけだし、どうしてこんなにも イメージと齟齬があるのかがよく理解できた。
プロデューサとして、やはり自分の専門性が必要なんだということは痛感しているが、今の専攻を 自分の専門としてアピールできるかと言えば、無理だ。やっぱり僕は専門の深さが足りない。 幅の広さには自信はあるし、その幅の厚さにもそれなりに自信はある。でもどうしてもアクタとしての 専門性を研く気力というか、やる気が起きない。これは昔っから同じなんだよ。プラモが大好きだったけど、 色塗りはしようと思わなかったし、(今は違うが)アニメは好きだったが、制作スタジオ何て調べようとも しなかった。小説書きたいと思ったけど、挫折したし、絵が下手なことを改善しようとしなかった。 柔道だって、怪我のせいはあったけど、自分で上限ラインを設定していた。 次々に新しいものに手を出すことで維持してきかから興味の幅は広いけど、いつも中途半端で 終わっている。Webサイトについても高1頃に自宅サーバ立てて、HTMLもCSSもJavaScriptも 勉強したのに、サイトを維持することをしなかった。ラジオだって一時急にはまったけど、結局今も 聴いてるのはバツラジくらい。野球もサッカーも一時ははまったのにすぐに興味が失せた。 自炊もしていたのにやめてしまった。専門に進んでロボット工学の広範な知識を蓄えるのが とても楽しかったのに、それを深めて研究する時点になったら急速に飽きた。 プログラムだって、あれだけ感動したけど、のめり込む気は起きない。 とてものめり込んでいるNFLだって、それを突き進めてNFLの記者になろうとかは思わない。 大好きなインターネットだって、Webプログラマになろうとかは思わない。ともかく、アクタに なろうという努力をしようとすると、すぐに自分より優れた人がいることに気づいて、自分は 必要ないと思ってしまう。
ここまでくると、自分の力ではどうしようもないんだなぁと思う。きっと生まれつきのアクタの人たちは、 深く進むという作業をまったくストレスなく行えるのだろう。僕の場合は、深く入ろうとすると、 急激にストレスが強くなる。悪く言えば、表面だけ楽しんでいるのが好きなだけ。 でも、そこを何とかしようと何度思っても、ダメだった。やっと、やっと、テレビを中心とする メディアについて考えることは飽きないかもしれないという感じを得てきた。 それは、アクタになることを考えているんじゃなくて、実現性をもったプロデュースとして捉えられて いるからだと思う。
昨日バンダイのインターンにも行ってみたが、どうも違った。おもちゃも昔から好きだが、 これを深く進めることは僕にはできないと直感的に感じた。その点で、アニメやテレビ番組、映画は 今のところ飽きていない。もちろん作品だけなら飽きる可能性はあるが、プロデュースということには 全く飽きそうにない。コミュニケーション能力の無さを考えると、とても厳しい道だと思うけど、だからと いって逃げ出そうとは思わない。この感覚は初めてだ。負けると分かったら身を引くのが 今までの自分だったけど、それは対象がいつもアクタだったから。プロデューサだったら、 負けてたまるかと思える。僕にしか出来ないことがあると思う。だから諦めない。
ゼネラリストのプロデューサが自分には一番合っているということが今日で良くわかったけど、 その教育ならSFCが最先端らしい。ということで、やっぱり僕は東大を選んだのは ミスチョイスだったわけだ。でも今からSFCに行く気力も時間もない。今のままで、 自分が興味のあるメディア系の仕事に携わるなかで、その専門性を深めて、 もちろんプロデューサ能力も高めて、いつか自分のやりたい夢を実現する。この道が今とれる最善の道だと思う。
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