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ちょっとだけ

  • 2007-10-17 (水) 21:03
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今日は広告業界の就職セミナーで博報堂とADKの人が来てました。 楽しそうだよなぁ。テレビだけじゃなくいろいろできる。多分、 テレビがつぶれても広告は絶対になくならない。企業の人間的な部分、 コミュニケーション的な部分のコンサルティングをやるんだから、 多分資本主義が続く限り消えることのない業種。

さて、授業ではコンピュータヴィジョンの話、アニメ業界の話、ゲーム業界の 話を聴きました。書きたいことは大量にあるけど、とりあえず今日は 日テレへのラブレターを仕上げる必要があるので、一番頭に 響いた言葉だけ。

コーエーの松原社長の話でしたが、プロデューサとディレクタの 本質的な違いについて。ディレクタの素養は会社に入ってから 身に着けられるものではない。子供の頃からずーっと触れてきた コンテンツやエンタテイメント、モノの質や量が低い人はどうやっても無理。 今まで触れてきたものを引き出しとしてたくさん蓄えていて、 必要な時にそこから素材を出してこれる人。これがやっぱり ディレクタなんだね。ただし、狭い分野しか知らない人はダメ。 ゲームではゲーム以外にも精通している人ならば、たくさんの 引き出しを持っているから、より斬新なアイデアや的確なアイデアが 出てくる。

一方でプロデューサの素養は人モノ金の流れを管理できることで あり、それは後天的に身に付けられる。ディレクタの様に小さいころからの 積み重ねのない人はやっぱり残念ながらディレクタとしてはいまいちだ。

ここからは私見だけど、アクタはきっとオタクがなるのが良い気がする。 その業界しか興味がないって人。アーティストは結構そういう感じだよね。 ともかくそれが好きでそればっかりだった人はきっとアクタが向いている。 だからこれも僕には向かない。

消去法だけど僕はやっぱりプロデューサだ。ディレクタの素養に 足りる程、作品を深くも見ていないし、数も見ていない。 アクタに適する程に、ひとつのモノに集中できない。でも、 ディレクタよりも広い物事を知っている自信はあるし、アクタ程では ないが時には集中することもできる。ディレクタとしてもアクタとしても 多分中途半端で終わるだろうが、プロデューシングだったら 自分としても満足のいく仕事ができる気がする。確かに、 完全に自分の思い通りにいかない部分はあるだろう。そこのコントロールは どちらかといえばディレクタなのだから。でも、そこは自分よりも 素養のあるディレクタにおまかせする。実際に手を体を動かすこともできないから いざ最後の最後はアクタにやってもらうしかない。でも、僕がやるよりも ずっといいものができるんだったらそれで良いじゃないか。 そういう環境を整えてあげて、なおかつ彼らに飯を食わせてあげる。 それこそが僕がプロデューサとしてできることなんだと信じているし、 そのために必要なもののいくつかは備えている自信がある。 もちろん、足りない部分も多々あるけど、今日の言葉でちょっと安心した。 そういう部分はこれから身に着けていくものなんだ。今完璧でなくていい。

そうなったときに、今必要なモノは何かと考えれば、多分「夢」だろう。 ディレクタやアクタが思い描く夢よりもはるかに大きくて、はるかに 途方もない「夢」。そしてそれをいつまでも持ちつづけられるという 「夢」に対する「情熱・愛情」。これだけは持っていないと、多分 何もない空っぽの人間、つまりコンピュータになってしまう。そういう人は クリエイティブでない事務仕事を黙々とこなすのが一番なんだ。 僕には「夢」も「情熱」もある。それらは一人よがりでもない。 だから、コンピュータでは満足できない。

ともかくやってやる。

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