- 2007-11-20 (火) 0:02
- コラム

今日は個別指導のバイトで中3生を受け持ったわけですが、 明日から期末テストということで、とても大変でした。 何が大変って、東京の入試って結構推薦が多くて、そのためには 内申点がかなり重要です。そうすると、今回の期末テストが内申を 決める最後のテストになるので、みんな根性入れてやってるんですね。
僕には、この感覚が全く理解できませんでした。僕のいた地方の場合、 私立は数個しかなかったし、そもそも高校だって数えるほどしかありません。 僕は一応進学校を受けることになっていたので、推薦もありません。 従って、本番の試験日に合わせていけばいいので、2学期の期末なんて 別に気合をいれた覚えは全くないです。試検(公立の場合、試験ではなく試検 になります)の時さえ点が取れればいいんでしょ、という大学入試的な ノリでいたので、内申なんか気にしたことない。耳障りに聞こえれば 申し訳ありませんが、中学だったら特に学校外で勉強せずともオール5近くは 取れました。だから、内申は気にせず試験日だけの準備。ついでに言うと、 試験の内容だって中学レベルの授業の内容は多分頭に入っている自信が あったので、一度も過去問を見ることなく試検に臨みましたが、 予想通り余裕だったと思います。
いわゆる試験の申し子みたいなもんです、僕は。それは昔から分かってました。 誰に教わらずとも試験のテクニックみたいなのが次から次に湧いてきましたから。 でも、そういう自分が嫌で嫌で仕方なかった。結局、試験しかできない。 つまり自由研究みたいなのはさっぱり出来ない。与えられた問題は何でも解ける けど問題が与えられないと何もできない人間。こんな創造性のない人間に、 あなたは用がありますか?ないですよね。今は問題に答える能力はコンピュータや インターネットの方がはるかに高い。そんな時代において、こんな試験バカは 必要ないのです。それを後生大事にいまだに試験に執着しているのが、 東京大学というところ。だから、大学の学問に疑問を感じやる気のない 僕であっても、どちらかと言えば成績のいい方に落ち着いてしまう。 「テストができる」というただひとつの能力があるだけで。
そんな能力何の役にも立たない。ウェブ時代をいくこれからにおいて、 テスト問題に回答するだけの能力なんてそれ単独じゃなんの意味も なさないのに、それだけで学力を測ろうとする空気に僕は吐き気がする。 そんなの才能じゃない。僕はたまたま能力が最初から備わっていたけど、 能力はある程度の素養があれば努力して身につけられる。それを最初から 持っていたって、あとで取れるんだったら意味がない。唯一それを活かす手は、 飛び級してどんどん若いうちから先に進んでしまうこと。でも、日本は それを許さない。だったらこんなシステムやめてくれ。テスト問題しか 解けない人間を集めて果たしていったい何の役に立つのか。誰がテスト問題を 作るのか。僕はもう解くのは飽きた。どんな問題でもある程度勉強すれば 解けることが分かったから。傲慢かも知れないが、僕に見える世界の現状は こんなもんだ。だから、問題を作る側になりたい。幼い頃から思っているけど、 いまだに一度も達成できたことのない夢。先生という職業に対する憧れは ここにあるんだろうな。
またいつものポイントに集約するけど、結局こういう方向で活躍するには一級品の 才能が必要だ。例えば名優と言われる俳優さんや、誰もが褒め称える監督さん など。でも、僕には才能はひとつもない事が分かっている。能力はいくつも あるけど、肝心の才能が何もない。昔から気づいてはいたけど、もしかしたら 能力だけで何とかなるかもとわざと目を背けていた。でも、高速道路は 能力だけでなんとかなるもんじゃなかった。僕は高速道路を超高速で 走りぬける能力はあったけど、渋滞を抜ける才能はなかった。だとすれば やっぱり降りるしかない。降りた先は高速道路を超高速で走る能力なんて 無意味な世界。F1マシンがいくら速いと言ったって、オフロードでは タイヤがパンクして終了だ。けものみちを歩く能力は未知数だけど、 だからこそ面白い。そこに高速道路があるんだったら、僕はそれを超高速で 走ることは簡単にできる。でもそれはつまらない。道なき道こそ歩く価値がある。 才能も能力も予測不能な世界、つまり何が才能で何が能力なのかが分からない 世界は、逆に言えば自分でそれを決めてしまえる。
僕が思うけものみちを歩く才能は、夢、けものみちを歩く能力は 対人コミュニケーションだと思う。高速道路において、能力はあるけど 才能はない僕でしたが、けものみちにおいて、才能はあるけど能力はない という状況になることが可能となる。僕にはたくさんの夢がある。 けれどもそれを実現できるだけの能力がまだまだない。でも、能力は 努力次第で後から付いてくる。前を向いて走るための才能は備わっていると思う。だからこそけものみちに惹かれる。高速道路の上では何の才能もない 僕が、下に降りるだけで才能を持つことができる。この興奮は説明しても 分かってもらえないし、第一そんなにあまい世界じゃないだろう。 でもそこは梅田先生よろしく、オプティミストで行くしかない。こういう 能力が必要なんだと思う。
高速道路の渋滞を抜ける才能がある人は高速道路を行けばいい。それは 才能のない人間には決してたどり着くことのできない、究極の高台なのだから 行くべきだ。人類の未踏の地に向かう様なものであり、これはこれで けものみちなのだから。僕たち凡人に、人間の究極を見せて欲しい。
僕はこの道は行かないことに決めた。渋滞を抜ける才能は試験勉強では 僕にかなわなかった人たちよりも格段に無いことを痛感しているから。 僕は全ての能力を捨ててでも、才能のある道に行く。夢だけは誰にも 負けない。だって、夢はオンリーワンだから。僕の夢は僕だけのもの。 誰だってけものみちでは才能をもっている。あとは、必要な能力を どれだけ身につけられるか。その幅は高速道路にいるときよりも はるかに広く、果てしない。高速道路は所詮、ガードに挟まれた道を 決まった方向に進めばよかったのだから、その能力も限定的だ。 試験で点が取れる能力は渋滞まで行くにはとてつもない武器になる。 でも、下に降りてしまえばただの能力のひとつに過ぎない。それだけ 持っていたって生き残れない。広範な能力を身に着けるという苦労を 超えるためのモチベーションはただひとつ、夢を実現すること。 そのために役立つのなら毎日がつまらなくても頑張れる。 彼女がいなくたって生きていける。自分に生きる意味を見出せる。 なぜなら、僕の夢は僕にしか実現できないから。
勉強については、かなりムカツク記述もあったかと思います。でも、 試験なんて時間をかければある程度誰でも東大合格レベルにはなれますし、 してあげる自信もあります。ただ、時間と資源が有限であり、 僕はたまたま吸収のスピードが速かったので正規の年限でクリアできた だけ。そのアドバンテージを何も活かせていなければ何の意味もない ステータスです。こんなつまらない状況がお望みならば、誰か変わってくれ。 勉強なんかよりもっと大事なことがある。勉強だけで人の優劣みるんじゃねぇ。 東大は入試を止めて代わりにに卒業を激ムズにすべきだ。そうすれば 僕みたいに勘違いする人は減る。それくらいドラスティックな変化を しないのならば、僕は大学を見限る。絵の上手い下手があるように、 勉強にも向き不向きがある。そこを無理に詰め込むというのであれば、 勉強しかできない奴にも上手な絵が描ける様になるまで絵を描かせ続けろよ。 多分発狂するぜ。
いつまででも語り続けるのでこの辺で止めます。文句があるなら なんでもどうぞ。僕は本音を語りました。みなさんも本音でお願いします。
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