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文章を書く方法

愛読させて頂いてるブログで、とても興味あるエントリがあったので、今の僕の稚拙な考えを 書く。

何も考えないで、勢いで喋り倒していると、論理には必ず無理がくる。いろんな人との反応があって、 論が迷走すればするほど、自分の思いと、実際しゃべられている「論」との間に解離ができて、 「歪み力」みたいな応力がたまっていく。

歪みを許容すると、なんだか負けを認めたみたいで嫌だから、たいていどこかで、 「無理筋飲み込んだ一言」、なんだか偉そうな、思わせぶりな「一言」が出てくる。 何となく分かったような、分からないような、 あるいはもしかしたら、おしゃべりしていた相手の方があきれるような言葉。これが文章の真ん中部分。

そんな一言は、そもそも無理な何かを勢いで断言しているんだけれど、 自分はいつも、そんな一言を文章の中心に置いて、それに説得力を出すために、 前後の文章を切り貼っている。

レジデント初期研修用資料: twitter を中心にした文章生成作法

僕は昔から「推敲」という行為をやらない。僕はその昔、小学校4年生くらいまでは長文を 書くのがものすごく苦手でした。読書感想文400字とか言われても何も書くことねぇよ、 と愚痴っていたたちでした。それが、ある日突然、長文がすらすら書けるようになりました。 何でかは覚えてませんが、記憶に強く残っているのは、学校でストーリを書きましょうと いった課題をやってた時だ。原稿用紙に物語を書いて、最終的に冊子みたいなものにまで する課題だったのだが、宝探しの物語を一本書いた。その時、次から次へと言葉があふれてくる 感じを初めて味わった。物語の筋なんか考えなくても、勝手にキャラが動いて、勝手に ストーリが進んでいき、書きたい感じに仕上がっていく。このときも推敲なんてほとんどせず 一発書き上げの様な感じだった。

それから、長文を書くのは全く苦にならず、いくらでも長い文章が書ける様になった。 これは必ずしもいいことではなく、僕の文章はいつも無駄に長くて冗長なものになりがちになった。 だったらば、推敲をすべきなんだけど、どうも僕は自分が一度書いた文章にあとから手を 入れるのが感覚的に拒否感を持ってる。それは、書き言葉を話し言葉と同一視しているからかも しれない。

僕が文を書くときは、ひたすら上から下へ向かって一直線に、まるで画面に向かって話すかの様に 文章を打ち込んでいく。だから、僕の書く文章は基本的に話し言葉。誰かに向かってしゃべって いる時と感覚は同じ。話し言葉なら、一度言ってしまった言葉を言い直すことはできない。 もちろん、後から修正の言葉を加えることはできるが、あの瞬間に発した言葉を、その瞬間に 戻って修正することは不可能だ。その感覚があるから、どうも後から見直して書き直そうという 気にならない。

いつも批判する研究についても、論文は基本的に一発書き上げ。あの時は外野にごちゃごちゃ 言われて本当にむかついた。人に書いてもらった文章を使ってたら僕の言葉じゃないから。 僕の名前で出す文章は僕の言葉で書かないと気がすまない。そして、今の僕の言葉の書き方は イコール言葉を話すこと。だから、書いた内容を話すのも簡単。話しながら書いているから。

で、冒頭の引用に戻るけど、そうやってしゃべるように書いていると、やっぱり破綻が来る。 でもその破綻が楽しい。破綻を丸め込むような言葉が「中心」になるというのは 全く持って同感。ガーッと自分の論を展開していく中で、自分で気づく矛盾。それを (感覚的に)上手く説明できる一言を見つけられたとき、それは僕の中で新しい言葉が 生まれる瞬間になると思う。自分の論を展開する時は、基本的に過去のストックから 話している(もちろんそっくりそのままという意味ではなく、内容が、ということ)けれども、 この「一言」を考える時は、心の中では「しまった、前に言ったあれと内容に齟齬がある。 どうしよう、どっちも正しい展開をしたのに。そうすると、両方に共通するさらに上の 理論があるのか…」みたいなことを瞬間的に考えて、自分の論を組み合わせた新しい 言葉を紡ぎだす。こうやって言葉をつむげた瞬間、僕はとてもうれしい。

ただ、確かにこの「中心」を見つけてしまうと、しばらくそれで満足してしまうのも事実。 言いたいことをドンと言ってしまうと、ちょっとその後は力がなくなる。 現に今も、上の段落を述べた時点でちょっと力尽きてたりする。キーを打つ指のスピードが 明らかに落ちていたりもする。そして、ここまで全く推敲することなく、個人的には 満足なしゃべりが出来ている。

こういう風な書き方をしている限り、僕はブログから抜け出すことは出来ないだろう。 いつかは梅田先生の様に本を書きたいけど、僕の書き言葉は話し言葉なので、どうしても 読むにはつらいものがあると思う。ブログなら多少はその苦労を押し付けられるけど、 本ではダメだろう。(ブログもダメなのかもしれない)

ということで、文頭・文末などに無駄な言葉の付く僕の書き言葉ですが、とりあえず まだしばらくはこういう姿勢で続けていきます。Twitterなど新しいツールを使って 文章をまとめていく自分の新しい手法が編み出せない限り、今の方法以外で書いた 文章は、自分の言葉では無い気がしてしょうがない。稚拙だとは思うけど、こういう やり方もあっていいのではないか。ブログはスピードも大事だし。

だから、記事のストックもあまり無いんだよね。一度書いてしまうとその文章に対する 熱が冷めるというか、その時のリズムみたいなのが消えてしまっているから、 それを取り戻すのにまたしばらく言葉を書かないといけないのがしんどい。 ストックを書き直すつもりもないしねw というわけで、この辺で終わっておかないと いつまでも話し続けるので…。

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