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実験のための研究と実証のための研究

ふと気づいたけど、僕が研究を嫌いになった理由の一つに、「実験」が あるのではないかと思う。僕は「実験」よりも「実証」の方が好きだ。

実験と実証は同じレベルの概念じゃない気がしますが、言いたいことは 実験のための研究が嫌ってこと。出来上がりがちゃんと動くことから 始めたい。基本的に僕の頭の思考過程はまず実証してから行動を始める。サーバの勉強 とかは、実機を動かしながらでないと何も分からない。理系の研究では そうではなく、「この理論からすると、こういう実験をすればこういう結果に なるはずだから実験をやってみて、予想通りの結果が得られて(もしくは予想 通りになるように細工をして)ニヤニヤして、それを踏まえてじゃあ アプリケーションにするとこうなって、そこではこの理論によって こういう効果が得られるはずで、作ってみたらその通りうまくいきました。」 っていうのが古典的な流れで、未だにこれが幅を利かせている。つまり、 こういう手順を踏まないと「研究」とは認めてくれない。

あかほり先生がおっしゃっていた「これってSF?」にいつも通じるけど、 こういう風に形を決めてそれに沿わないものは除外するという姿勢を 取っている業界は廃れていって、伝統芸能とかルーチンワークと化すのは 世の常だ。科学の世界がこれにこだわり続けるのならば、廃れていっても 文句は言えない。

僕は「こういう理論があって、その応用としてこれができるはずで、 とりあえず作ってみて、やってみて、その結果こうだった。予想が正しかったか 間違っていたかを検証してみて(その過程で実験することもある)、そうすると 次にこんなのができそうだ。」という形で物事を進めたい。まずやってみる。 その結果を次に活かす。ただそれだけ。でもこういうことをやっても認めてくれない、 少なくとも古典的な研究室では。だからやる気がなくなったんだな。ビジネスなら スピードが最も大事だから、こちらが受け入れられる。だから早く 働きたい。なんだ、単純な理由だったな。そりゃ大学が嫌になるわけだ。

僕はこの進め方を「日曜大工的」とも思っている。日曜大工では一流の材料も 一流の道具も一流の技術も一流の知識もないけど、とにかく作ってみる。 それは必要に駆られてだったり、作ってみたいからだったりだけど、ともかく 出来上がらないと意味がない。のこぎりがものすごくうまく使える練習を 1ヶ月やる暇があったら、ヘタクソでいいから1日で犬小屋が必要なのだ。 何か問題があれば後日直せばいい。ペットの犬には今日の屋根が必要なのだから。

こんなのはプロじゃないと言うのかもしれない。じゃあビジネスの世界はプロじゃ ないのか?もちろん、焦って出して失敗してるクソみたいなものも たくさんある。例えば、規格争いとかね。こういうものは確かにプロの 仕事じゃない。でも、スピードが適切なのにものすごいクオリティを作る 人もいる。例えばテレビアニメでは、時々ものすごいクオリティのものが生まれる。 テレビアニメというのは常にスケジュールに追われて、スピードが重要視される 仕事だが、その中で、奇跡的な質を維持する現象がたまに起こる。これこそ プロの仕事だ、と僕は思う。

もちろん、スピードの遅い、期を逸した仕事なんて僕はプロじゃないと思っている。 例えば、いまさら手で金型彫ってプラモを作る技術を研究したって何の意味も ないみたいな。日本の大学はそういうことをやっている気がしてならない。 で、遅すぎる方と早すぎる方の二者択一なら僕は後者をとる。

ロボットクリエイタの高橋智隆さんの論文を「数式が一つもない(笑)」と 一笑に付すのは勝手だけど、そうやっている研究者はいずれ「それってロボット?」 と言って高橋さんの作るロボットを排除するつもりなんだろう。それが一般に 受け入れられるかと言えば、僕はそうは思わない。自分達の世界に凝り固まるのは 近代科学技術の常だけどそろそろ意識を変えたらどうだろうか…。

結局、世の中プロと呼べる人はほとんどいないんじゃないか。適切なスピードと 究極のクオリティを両立できる人は、数えるほどしかいない。だったら、まずは アマからスタートでいいじゃないだろうか。プロの定義って羽生さんも書いていたけど お金を貰って仕事してればそれでプロなんて、そんなのありえない。 プロにはプロたる技能が必要で、それは時期を逸してもいけないし、質を 落としてもいけない。

日曜大工的に好きなことをやる、好きなことを考える、好きなことを愛でる、 そういう暮らしで食っていけたら最高だ。でも、僕の場合まだそこに至るには 選択と集中の度合いが足りない。選択と集中は「人それぞれ」だけでなく 「時それぞれ」であるものの、今はしっかりと集中しないと就職活動も (僕の考える)研究も十分ではない。もうすこし覚悟を決めないと。そうして 経験を積んだ先に、何かあればいいなぁと。

とにもかくにも、アニメ業界が「それってアニメ?」とだけは言い出さない様に やっていかないと。僕の目にはまだFlashアニメはアニメに見えないけど、 それは今のアニメの定義なのであって、アニメの定義を拡張して、その中の 小分類として「手描きアニメ」と「Flashアニメ」が存在すれば、いいんじゃない だろうか。まず僕はそういう形でアニメの概念を拡張しておきたい。 でないと、下手すれば絶望先生で実写の写真が入っているだけでアニメじゃない という議論になりかねない。そんなのは全く本質的ではない議論だから意味がない。 概念は拡張され変化するもの。それを「SF」という枠で縛ったがためにSF小説は 廃れていった。ライトノベルがストローノベルに変わってしまう時が来るのか 来ないのか…。文化とはなんと難しいものなのだろう…。

と、思ったことをつらつら書いてみる。これもまずは行動することから始める行為。 間違いがあればあとから修正していけばいいじゃないか。そのためにブログという システムはとても小気味良い。

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