- 2008-01-06 (日) 13:40
- 教育

昨年の後半から個別指導の塾でアルバイトを始めた。ノートPCのために金が必要だったのも あるが、むしろ今では生徒達にとても興味があるから続けている。
理解のスピードの違いは質的違いを生むが優劣ではない
僕の働いている塾にくる生徒は世の中で言う頭の悪い方の生徒。まぁヤンキー稼業に忙しい子は そもそも塾なんか来ないだろうからその辺よりはちょっと上で、一応勉強はしなきゃいけないんだろうと 思っているけど、いざやるには誰かに尻を叩き続けてもらわないといけない子達。多分、 世の中こういう人が一番の多数派なんじゃないかな。
一方、僕は世の中で言う頭のいい方の生徒で過ごしてきた。だからその学習のプロセスとか 勉強のやり方とかの違いに新鮮な衝撃を受けるとともに、井の中の蛙だった自分に気づかされている。 金だけ稼ぎたければ、東大行きたいとかいうお坊ちゃんお嬢ちゃんから金を取ったほうが 楽に決まってる。自分と同じ様なプロセス踏んでるから教えるのも簡単。自分が理解した様に 伝えればいいから。
今の塾で教えていると、自分がいかに力がないかがわかる。生徒達と僕では理解のスピードが 違うということが質的な違いを生んでいる。ここで、理解のスピードが遅いことが悪いなんてことは ちっとも思わない。理解のスピードは多分背の高さみたいなもので、必ずしも高い方が言いわけじゃ ない。しかも後天的にどうすることもできないもの。それで人の優劣判断するなんてバカバカしい。
で、理解のスピードが違う人に教えるというのはとても難しい。理解のスピードが速い人は 大抵のことは聞いたらすぐ仕組みを理解してしまう。だから単純なトレーニングを繰り返すのに すぐ飽きる。でも、定着はしてないので、それを定着させるには見せ方を変えながら同じものを 見せてあげる方がいい。例えば、ベクトルと複素数平面みたいな。こちらは自分の経験を 踏まえてこう思う。
一方、理解のスピードが遅い人は、上の様なやり方をやっても同じものに見えないから余計混乱する。 大事なことは一つ一つ定着させること。その上で、実はこれとこれは同じ仕組みだよねと 教えた方が納得してくれる。小さなことから少しずつ定着した方が強化学習的に有効みたいだ。 こちらの視点をくれた点で、今のバイトには感謝。
で、今の(というか自分がいた時の)学校教育を考えると、どちらにも対応できるようにと 考えすぎて結局どちらにも満足いかない状況な気がする。僕は中学の勉強はあまりにも 中途半端すぎてつまらなかった。もっと難しいことをやって欲しかったと思っている。でも 理解のスピードの遅い人にとってはやることが多すぎて意味不明になっているから結局 表面的な事象だけを捉えて卒業してしまっている。
勉強と学習の違い
ここまで理解のスピードの違いで述べたのは「勉強」について。だって学校で教えてくれるのは 勉強だけだから。
勉強はツールだが、学習は人間の本質。それがわかっていない気がする。言いたいのは、学校で 教える勉強は最低限でいいと思う。
「学習」と「勉強」は違います。 後ろに「する」という言葉を付けると分かりやすいのですが、「勉強」は行為そのものをさします。その結果どうであろうと関係ありません。 「学習」は、プロセスはどうあろうと、結果として身についている状態をあらわしています。
そんな感じだと思う。今の学校のスタンスは生徒がどのようなことを身に着けるかは関係なく、 ともかく授業をしたという事実だけ得られればそれで良いということ。理解のスピードの速い 人は修業年限内でなんとなく結果として身に着けるけど、スピードの遅い人は時間が足りないから 無理。そうすると何も得ずに終わってしまう。でも学校の先生は「それは各自の責任」という スタンスなんだろう。それはあまりにも惨い。背の低い人間はそれだけで切られるということだ。
小中高大と何をすべきなのか
授業時間数の問題が多く取り上げられていますが、「勉強」ばかりに目が向いているような気がしてなりません。
ゆとり教育の象徴のようになってしまっている「総合的な学習の時間」ですが、これはまさに「学習の時間」であったはず。
この調査が、総合学習の進め方を改めて考える機会になればいいと思います。 小学校で、総合学習がうまく機能すれば、中学校・高校ではわざわざ時間割に入れ込む必要はなくなると思っています。
そうそう、その通り。僕はカリキュラム的に総合的学習の時間というものを経験したことがない。 今の学校を見たこともないから実際に何が行われているのかは知らない。でも、学校で やるべきは「勉強」より「学習」だと思う。
勉強はいつでもできること。それにばかり注力したって、所詮いつ覚えたかの違いしかない。 小学校の勉強が明らかだが、私立中学を受験する連中は鶴亀算とかの何とか算という やつを片っ端から勉強している。それを知らないと試験問題が解けないから。でもさ、 それに何の意味があるの?そんなの中学高校と勉強すれば自然と身に付くもの。 実際、東大理一に入った僕は未だに鶴亀算のやり方は知らないけど、別にすぐ解ける。
そういう勉強に割く時間があるんだったら、もっと学習すべきだろう。というわけで、個人的に 小中高大とどうすべきか考えてみた。
- 小学校
- 勉強
- 漢字、熟語、ことわざ
- 筆算、九九
- メディアリテラシ、プログラミング
- 学習
- 理科の実験、音楽、美術、体育
- 企画をする、実行する
- 企業に長期的にお邪魔する
- ブログを書く、本を読む
- 勉強
- 中学校
- 勉強
- 漢字、熟語、ことわざ、現代文法
- 数式の扱い、一次関数、一次方程式、連立方程式
- 日本史、現代社会、物理、化学、生物
- 英語(文法重視)
- メディアリテラシ、プログラミング
- 学習
- 理科の実験、音楽、美術、体育
- 映像作品制作
- ウェブサービス制作
- 企業でインターン
- 勉強
- 高校
- 勉強
- 古文、漢文
- 微分積分、線形代数
- 世界史、政治経済、物理、化学、生物
- 英語(読み聴き重視)
- 科学史、哲学史
- メディアリテラシ、プログラミング
- 学習
- 量子論、相対論、生命科学、情報科学のいずれかを深く@大学
- 音楽、美術、映像のいずれかを深く@大学
- 体育
- 勉強
- 大学
- 勉強
- 英語(書き話し重視)
- 後は必要に応じて自分で選択
- 必要となれば高校に戻って授業を受けることも可
- 学習
- 自分が専門としたいものを自由に選択。いつでも変更できる。
- やりたいことを企画書として提出、それを見て先生が学生を選ぶ
- あとはお好きにw
- 勉強
勉強の項目はテストをする。学習の部分はアウトプットが重要。 勉強については理解のスピードの速い子が遅い子に教えてあげるという時間を作る。 クラスみんなが理解しないとペナルティがあるみたいな。そうするとすげぇ いじめとか起こるかもしれないなぁ。
あぁ考えてたらよくわかんなくなってきた。でもこれくらラジカルな変化が必要なんじゃない? ここに無いことをやりたければ、それぞれ専門の私塾でやる。この塾というのは今の塾ではなく 理想は松下村塾みたいな一人のスーパースターが引っ張る塾みたいな。よくわかんないけど、 例えば料理が学びたければタダで服部栄養専門学校に小学生からお邪魔できるみたいな。
さらに、これだけやろうと思ったら一つの学校の中だけで完結するのは無理。地域連携がとても 重要になってくるはず。
これいプラスして引きこもり万歳制度を組み合わせる方法を考えないといけないな。 引きこもりは勉強・学習の項目の中で何かこれ集中してやってみたいと思ったら いつでも引きこもっていいみたいな感じかな。ま、これからゆっくり考えよう。 とりあえずのアウトプットを書いてみる。袋叩き大歓迎。
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Comments:6
- a-kubota 08-02-11 (月) 1:05
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広義の歴史は、小学校の時点で、世界観を与えられる程度の概要にまとめて教えるべきかと思います。
特に科学史は、「何のために理科を習っているのか」を納得させるために有益なので、
理科と同時に教えることで安定した成績が期待できます。
哲学史も道徳との絡みで重要ですね。どうも政府はかつてから道徳教育で精神を陶冶したいみたいですけど、
だったら倫理学の歴史や成果を生かさない手はありません。道徳と同時に教えることで安定した精神陶冶が期待できます。
逆に企業提携は小中では早すぎるという懸念も抱いています(英産業革命時代の児童労働と同様のリスク)。
後はおおむね共感するところです。特に企画能力を小学校の頃から教えることは重要ですね。
教育の成果のうち、従来評価しにくい判断力・思考力を評価するのに適しています。
目的がおかしくないか、手段の順序がおかしくないかが見えやすいですからね。
- riywo 08-02-11 (月) 6:40
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>a-kubotaさん
コメントありがとうございます。
小学校で歴史系を省いたのは、多くの人にとって歴史は暗記になってしまって、 それに時間を割くことは得策じゃないと思ったからです。科学史や哲学史では特に 外国人の名前が出てきてしまい、それだけで混乱するんじゃないかなと思いました。 もちろん、うまくまとめて伝えられるなら伝えたいとは思います。 歴史系はそれを学ぶ必要性とセットにして伝えるとよさそうですね。あとは マンガとかの有効活用もいいかもしれない。
企業との提携はご指摘の通りですね。「自殺するなら引きこもれ」を読んでいると 確かに学校教育というのは産業界と結びつきすぎています。僕も、あくまでこの 教育の先に「サラリーマン」を想定していましたが、そんな狭い教育では 意味がないですね。ただ、世の中には君達が(主にマスコミを通して)知っている以上に、 たくさんの役割があるんだよということをなるべく早い内から知らせてあげたいなとは 思います。例えば、アニメは絵が描けなくても作る作業に加われるとか。
- oyayubi 08-02-11 (月) 8:58
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ちょっと反論してみます^^;
「勉強」はいつでも出来ると主張されておりますが、やはり年齢に応じた”勉強”項目があるのではないでしょうか。例えば、分数の計算を低学年のうちに学んでおかないと、後に身につけるのは困難であるという話がありますし、逆に歴史などは、一般常識以上の知識を小学生に授けるのは不可能ですね。
そういう意味で、現在のカリキュラムは、個人的には、大筋ではそんなに悪くないのではないか、と思っています^^; 低学年教育において「読み・書き・算盤」をもっと重視した方がいいのでは、など色々と思うところは無くもないですが、多様化する公教育へのニーズと年齢に応じた学習項目の配分を考えると、落としどころはこんなものかな、と。
それよりも、問題の本質は、教える側の指導技術の未熟さではないでしょうか。確かに、現行のカリキュラムに、riywoさんがおっしゃる様な問題点があるのは事実です。しかし、基本的には教員の指導技術の向上で、充分に対応できる範疇の問題なのではないでしょうか。それに、「学習」のようなアウトプットを重視するカリキュラムを組むにしても、優れた導き手の存在は必要です。いや、むしろこっちの場合の方がニーズは高いでしょう。
個人的には、カリキュラムをあれこれ弄るより、教員試験の方式や研修制度について考え直した方が、実は問題解決の早道という気がします。
- riywo 08-02-11 (月) 11:54
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>oyayubiさん
ご指摘ありがとうございます。もちろんそう思います。このエントリを書いた前提として、 そもそも今の学校教師は全部いらないという感覚で書いたと思います。
僕も落としどころとして、現行カリキュラムはよく出来てると思います。 少なくとも、理解のスピードが早い子どもにとっては効率よく多くの勉強項目を吸収できる システムにはなっています。
ただ、カリキュラムとして「勉強」系の量が多すぎると思います。塾ではあまり成績の よくない子を何人か見ていますが、彼らには現行の勉強カリキュラムでも多すぎです。 だから、
分数の計算を低学年のうちに学んでおかないと、後に身につけるのは困難であるという話がありますし
という部分だけをやればいいんじゃないかと思います。個人的には、中学英語で 「5文型」というものの存在を全く教えてくれなかったことにかなり憤っています。 それを教えずにやれ「This is a pen.」だとか言われたって、分かるはずがない。 それで分かる様になるにはネイティブの子ども達以上に英語に接しないと無理。 そういう無駄なことに時間を費やしてもしょうがないと思います。 高校1年の4月に「5文型」の存在を知って、一瞬にして中学で分からなかった 英語の謎が解けました。これ知ってればもっと中学から英語ができたのにと 思いました。
とは言いながら、じゃあ小学生に「主語」「動詞」とか言っても、日本語の文法も ままならないから分かるはずもない。だから、中学校で現代文法と英語文法を 並行しながら学べばいいのではないかと思いました。この辺は そういうことの専門家がきちんと考えて、それこそ「指導要領」とするべきだと 思います。どうもこれまでの教育制度ってのは科目間の連携がゼロの様に思えて 仕方ありません。
みんな高校に行くんだ、みんな大学に行くんだを前提としたカリキュラムが、 どんな子どもにも合うなんて考えられません。しかし、今の教育制度はそれを みんなに押し付けているとしか思えない。なんで教育がこんなに不自由なのか。そして、 最も深刻なのは、子ども達にはそれに気づく術がほとんんどないということ。
だから、oyayubiさんのおっしゃるように、きちんと教える・伝える・導くことの できる指導者の育成も重要になると思います。三位一体改革じゃないですが、 「カリキュラム」「指導者」「保護者」をセットで変えていかないと、 結局もとの木阿弥で戻ってくる気がします。早道は今すぐ全部入れ替えることですが、 事実上不可能。そうすると、結局は長い時間をかけて変えていくしかない、そう思ってます。 多分、保護者を変えていくのが一番難しいのかな^^
- oyayubi 08-02-11 (月) 21:23
-
つまり、現行カリキュラムの問題は、教師の指導技術の向上で対応できる範疇を超えている。
で、その問題点(及び解決案)は、
- カリキュラムの量が多すぎる(基礎学力の充実を目的として、内容を絞り込むべし)
- 科目間のシナジーが無い(連携を増やすべし)
- 義務教育後も公教育を受け続ける事を前提に組まれている
である――こんな感じでしょうか。以下に僕の考えを述べると、
1.
上にも書きましたが、低学年教育で「読み・書き・算盤」レベルの基礎学力を充実させない事には、いくら高等教育を学生に施しても限界があります。確かに、riywoさんがおっしゃる様な事情があるならば、カリキュラムを再編成するのが必要でしょう。ただ、問題はそれ程単純じゃなさそうですが。
2.
「連携」と言うのは、同時期に同種の知識を使う項目を学習するという事でしょうか。パッと思いつくところでは、力学と微積分なんかはいい感じでしょうね。ただ、現行の方式に比べて、どれ程効果があるのかは疑問です。現行のカリキュラムでも、その場の必要に応じて、教員が復習の時間を設ければ充分なのではないでしょうか。
あと、普通に考えて、今のカリキュラムが、科目間のシナジーを全く考えていないとは思えないんですね。この辺は、ちゃんと調べた方がいいかも。単なる教員の力量不足から、生徒に伝わってないだけ……という事もあり得るのでは。
それから、重箱の隅をつつく様な事を書くと^^;、個人的には、日本語の文法と英文法を同時に学ぶのに、どのくらい意味があるのか疑問に思います。その理由は、そもそも国語の授業で習う所謂「学校文法」に疑念があるからと言うのもありますが^^;、それ以上に、日本語と英語は全く別の言語体系である、という意識で学んだ方が、長い目で見たら伸びると思うからです。まあ、あくまでも僕の意見ですが、一応。
3.
義務教育の根幹に関わる大問題ですね。凄く難しい問題だと思います。
ちなみに、riywoさんは学習内容の絞込みで解決できるとお考えだと推察しますが、1.でも書いたように、問題はもっと複雑だと思います。 と言うのも、義務教育は、基礎学力の滋養に加えて、子供に歴史や地理や現代社会の様な一般教養を叩き込む(勉強!)のも重要な役割だからです(実際、こういう一般教養に通じてる事の方が、中卒や高卒で社会に出た子が所属する世間では重要だったりするもんです)。その役割を考えると、僕は、やはり現行制度の下で、今のカリキュラムを超える内容が作れるのだろうか、と思ってしまいます。
ちなみに、個人的には、義務教育期間を高校まで延長して、長期的な視野でカリキュラムを組み直すのが一番の解決策だと思ってます。ただ、これはriywoさんの議論の文脈からすると、本末転倒です。うーん、難しいですね。
あと、個人的には、税金を使ってまで、子供側のニーズに応える教育を施す必要は無いかなあ、と思っています。この辺は、riywoさんとは真っ向から対立する立場って事になりますね^^;
自分の周囲の、小説家やゲームクリエイターの様な、特殊な技能や才能を要する職業についてる人たちを見ていると、結局のところ、ああいう職業に就く人たちは黙っていても才能を顕すものなのだな、と思います。もしそうだったら、国が税金を配分するべき場所は他にあるのではないでしょうか。
それから、これも彼らを見ていると思うのですが、ハッキリ言って、「好き」を仕事にする生き方はリスクが大きすぎます。また、世間的には、かなりの成功者と見なされているクリエイターでも、精神的に不安定な状態だったりする事が多いのも気になります。率直に言って、そういう生き方を政府が推奨するのは、問題があるのではないかと僕は考えています。
学力と言うのは、ある意味で究極のセーフティネットな訳で、多様な生き方を社会が推奨するとしても、いやむしろ、それだからこそ、公的機関が注力すべきなのは、より一層の義務教育の充実なんじゃないのかなあ、と個人的には思っています。
- riywo 08-02-11 (月) 23:47
-
充実したコメントありがとうございます。僕は全然調べもせずに書いてますので もちろん穴だらけだと思います。指摘していただけて大感謝です^^
oyayubiさんのおっしゃることはきっと正しいです。だからこそ、現行の制度で 多くの人が不満を言わずにうまく回っているんでしょう。それで満足な人は きっとそれでいいのかなと思います。今の枠組みのままで、もっとよく伝えられる 様に指導者を育てることが重要だと思います。
ただ、他の選択肢もあっていいかなとは思います。画一な教育制度より、 多種多様な中から選べるのが一番いいのかも知れません。その意味で、 和田中の様に新しいことにチャレンジするところがたくさん出てくれば 自然と問題は解決するのかもしれませんね。
文法については、僕個人は文法がないとやっていけませんでした。この辺も 個人個人に対応が必要みたいですね^^。僕の場合、「主語」とか「動詞」とかで 言語化して固定してくれると、頭のなかにモヤモヤとしていたものが スッキリ腑に落ちるのでいいと思ったのですが。この辺の感覚は、梅田本を読んでいた 時にも感じました。多分、僕はそういう人なんでしょう。
読み書きそろばんは、そもそも時代が変わってきているから、その内容も変わる べきだと思ってます。今の低学年教育はそれほど悪くないと思いますが、 どうしても情報・メディアの読み書きもやっていく必要があると、長期的には 思っています。読み書きそろばんの範囲はそんなに絞った気持ちはなかったんですが。
学力は資本主義社会では究極のセーフティネットですよね。歴史や地理なんかを 嫌でも叩き込むのは確かに重要ですね。そこはホントにoyayubiさんのおっしゃる様に 伝える側の実力をもっとアップさせるのが重要ですね。嫌と思わせない工夫というか。
僕の意見ももちろん義務教育の充実です。そこは一致してますよ。てか、 ホントに高校まで義務教育延長した方がいいですよね。その方がカリキュラムは 考えやすいです。どうせ、大抵の人が高校行くんだし、中学の勉強は高校に 行くこと前提だし。
クリエイタは勝手に才能を顕すということは、裏を返せば才能を勝手に顕せない人は その才能がないということですね。中々悲しい現実ですよね;; きっとそうなんだと思いますが、それを認めたくない自分がいて、こういう 考えを生んでるんだと思います。
とりとめのない返信ですがこんな感じです。
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