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「教育」について素人構造構成主義で考えてみた

  • 2008-03-01 (土) 17:28
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現在の公教育には「質的教育」が足りないと思う。

まず「質的教育」に対して、「量的教育」が存在する。 「質的研究」と「量的研究」の違いのアナロジーで考える。 言ってしまえば、量的教育とは「数値」を用いることで 客観的評価をする教育のことだ。量的研究がそうであるように、 量的教育も「外部実在」を前提としている。それは 「誰にでも理解できる教育内容・方法が存在する」という ものだ。それを前提としているからこそ、公教育は 「指導要領」という一元ソースで縛っても誰も文句を 言わないのである。

しかし、構造構成主義的には「外部実在」を仮定することはしない。 絶対的な真実など存在しないということろからスタートするからだ。 そこには「信憑性」しかない。多くの人も本当は「誰にでも理解できる 教育内容・方法」の存在を「信じている」に過ぎない。ただ、 その信じる度合いが限りなく100%に近いだけなのだ。ところが 人間は自然に生活していると、99.9%を100%と勘違いしてしまう。 そうすると、それが唯一無二の絶対的真実であると思い込んでしまい、 最終的には目的と手段が入れ替わり、「指導要領を遵守すること」が 目的と化してしまう。これが量的教育の問題点である。

先ほども述べた様に、量的教育が正しいというのはみんなの「信憑性」を 担保にしているに過ぎない。人によっては、つまり関心相関的に 他の事柄の方が「信憑性」が高い人がいてもかまわないはずだ。 それなのに公教育は「量的教育」を強要する。もちろん、僕は「量的教育」は 必要ないと言いたいのではない。「量的教育」によって示される 多くの人の信憑性を勝ち得る洗練された「構造」は勉強した方が いいに決まってる。でも、それだけがすべてじゃないと言いたい。

では「質的教育」とは何か。今の僕の考えでは「属人的な教育」かなと 思っている。「量的教育」は客観的な構造を信憑していて、 「属人性」の低い教育内容となっている。その対称として「質的教育」が 存在する。つまり、生徒一人一人の関心(この場合関心とは「興味のある事柄」 という意味だけではなく「自分の周りの事柄」や「これまでの経験」などの 「属人的な事柄」全般を指す)に相関した教育のことだ。 教育だって「誰もが信憑しうる項目」を前提とする必要性は必ずしもないはずだ。

「量的教育」は究極を言えば誰が教えても同じことになる。そういう 客観的な構造を抽出することを目指しているのだから当然だ。 だから、いずれは先生ロボットができて、多くの人の信憑性が高い シニフィアンを用いて教えてくれる世界になる可能性もある。 しかし、「質的教育」は「教えられる側の関心」に相関するのと同時に、 「教える側の関心」にも相関してしまう。というか、むしろ教育とは 本来そういうものだ。だから、たまに「芸術的」とも呼べる天才的な 教師がいたりするわけだ。それを無理に「画一的であれ」ということを 強制してきたのが「量的教育」とも考えられる。

「質的教育」はきっと、その昔貴族の子弟が受けていた家庭教師に 近いのかもしれない。生徒一人一人の関心に相関して教育をする。 先ほども指摘したが、ここでいう「関心」とは「興味」だけのことでは なく、「目的」や「欲望」も含んだ概念だ。今は興味を示さない事柄でも 将来の目的のために必要であればそれは教えるべきだろう。そのときには 「関心」に相関的に教育方法を選択する必要もあるだろう。

ここまで言えば分かるように、「質的教育」は明らかに教える側の 負担が大きい。とても今の学校制度では実現が難しそうだ。 しかし、それはまだ構造化の洗練度合いが足りないのだ。 確かに「量的教育」よりは教師の人間性が求められるが、ある程度は 「客観性」を与えられるはずであり、それこそ「構造」であると思う。 その部分の研究や制度を怠ってきたのではないかと思う。 構造構成主義という理路が整理されつつある今、ここに着手しない手は ないと個人的には思う。

ということで、とりあえずここまで。構造構成主義的立場にたって、 教育を考えるとどうなるのかなと思ったので、自転車に乗りながら さっと考えてみた。おそらくまずい点ばかりだと思うので、 誰かに見てもらうべきだろうが、とりあえずそういう作業は ウェブに置いとくという行為で逃げておく。コメント歓迎。

コメント:1

ak 11-02-08 (火) 20:29

教師を馬鹿にしてる内容が気に入らないが思考実験のようなので無視してコメントする。

そもそも”公”教育で属人性が必要とされるのは制度的にあってはならない。
あってはならないものを足りないとするのはおかしい。

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