「鉄腕アトム」と「どろろ」を見たわけですが,改めてどんな分野にも温故知新というか, あえて古典を振り返る必要性はあるのだと確認できました.
メタ化されるまえの作品
先生が言われていた「メタ化される前の作品」特有の力強さ,それと 同居する独特の弱さを感じました.この作品のあと業界に入った人は必ずこれらの 作品の影響を受けていて,それがどのように現れるかというと手法のコピーであったり デザインがわかりやすいのでしょうが,作品の内容(=コンテンツ?)のオーバーラップや 反論などという形で表れている部分があってこそ,昔の作品を継承したと言えるのかなと 思いました.
力強さというのは,みなさん漏らしていた様に,アトムの影響力の強さやどろろの 次回への引っ張り方や無音の使い方なんかは,メタでとらえているはずの最近の アニメよりよっぽど上だと思いました.反面,弱さとしては,絵の精緻さという点では 不安定だなと思いました.これは技術的なものでしょうがないとは思います. (とは言え,どろろの絵は神がかってましたねぇ)ただ,さらにその反面としてそれでも なぜか引き込まれてしまう「表面にあらわれない絵の強さ」もあるなぁと思いました. 他にも,うまく言語化できないですが,強さ・弱さはたくさんあったと思います.
メタ化されたコンテクストに従う作品
逆に最近のアニメにはその反対があるのかなと思います.引き込まれて見てしまうような 強さはないものの,表面的な絵の美しさは確実に上がっている.ある意味それが当たり前に なってしまっているから,たまにそれを裏切るアニメがあったりするとうれしくなります.
昨年だと僕は「スケッチブック」に感動を覚えたんですが,あれとか,絵の美しさなんかは 最近にしては標準だと思いますが,なんか引き込まれて見せてくれる強さがありました. ゆったりしたスピードとか,かみ合わない会話とか,あえて最近の流行りを外している ような感じで好きです.(と,個人的な趣味でした>< サーセン)
最近は「安定している」ことが当たり前になっていて,そのメソッドに沿って作っている 作品では尖がることができないのかなぁという気もしました.
メタ化コンテクストの理解不足を実感
僕はメタな視点で物事捉えるのがとても好きなのですが,逆説的にいえば,メタ化する ためには,メタ化される前のものを消化しきらないとできないんですよね. で,アニメについて僕たちはすでにメタ化されたものから入っている.そうすると, 必然的にそのメタ化のコンテクストについて自分の頭で考えることを止めてしまう. だからこそ,あえてこうやって古典に立ち戻る必要があるなと改めて思った次第です.
よく考えると,この「メタ化コンテクスト」って構造構成主義の言葉に翻訳すれば 「構造化に至る軌跡」ということになりますね.つまり,「アニメとはこんなものだ」という (一時的にではあるが)不変なるメタ化されたものが「構造」であり,それを生み出すに至った 作品の流れや人々の動きをきちんと捉え記述したものが,その構造に「至る軌跡」.
今のアニメ業界,さらに言えば漫画やゲームなども含めたコンテンツ産業全体に 欠けているのはこの「構造化に至る軌跡」なんだと思います.これをきちんと記述しようという 試みがまだまだ少ないから,新しい人にとってはどんどんハードルが高くなってしまい, 結果的に「今の構造」に対して表面的な理解や感動だけで終わってしまったり, 表面的な,つまり現代的なコンテクストしか考慮しない稚拙な批判だけしか出てこない.
コンテンツ作品のいわゆる「消費文化性」だけがやたらめったら強くなってしまって,理解できなく なっている.そういう人たちが次のメタ化をやろうとしても,どうにも薄っぺらいものに ならざるを得ない.そういう時代に今僕たちは生きているんじゃないかと思いました.
型を破るためには,まず型を極める
確か,中村勘三郎さんが言っていたと思うのですが,「型を破るためには,まず型を極める必要がある」と.
彼はNYで歌舞伎をやるなど歌舞伎の伝道師のように見えますが,NYの舞台では確かギターを使ったり 英語を取り入れたりなど,型破りな歌舞伎をやっています(記憶が曖昧なので嘘かも><). そこで彼が言っていたのが先の言葉.彼がなぜギターを使ったかということについて,歌舞伎の当時の 人たちにとっての三味線は今の人にとってのギターなんだと思う,といったことを答えていました.
このような型の破り方は,もし彼が伝統的な歌舞伎に批判的だったり,ずっとロックばっかりやってたりしたら できなかっただろう.彼はずっと伝統的な歌舞伎を極め続けてきたからこそ,歌舞伎というものを メタ化して捉えることができ,結果的にこのようにすぐれた型の破り方ができたのだと思います.
この言葉を聞いて,僕はアニメの現場であったり,古典からの流れを知ることは絶対に必要だなと 思いました.自分がこれまで見てきた作品をきちんとコンテクストで理解することも必要だと思ったし, 取りこぼしている作品の理解も必要だと気付きました.
古いものに対する嫌悪感しか持てない人は決して成功しないでしょう.古いものをリスペクトして, その上で未来を向く.だって,僕が未来を向くことができるのは,過去の先人達の生き様があるからなのだから.
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Comments:4
- oyayubi 08-04-22 (火) 9:45
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最近のアニメって、僕からすると、凄く漫画的なんですね。何と言うか、漫画のコマとコマの間を繋ぐものとしてしか映像を捉えていない感じです。
それに対して、昔のアニメは非常に映画的だと思います。動きの美しさや面白さを重視している。一つの絵を、連続した時間の中で捉えている。
特に、ドラマ版の『電車男』のOPを見て、『daicon4』との違いを考えた時に、それを強く感じました。
個人的には、最近のアニメに「表面に表れない絵の強さ」が乏しいのは、今の作り手の頭にあるのが静止画像だからなんじゃないのかなあ、と思います。世代的にも、ちょうど映画が若者の必須教養から外れた世代と一致してますし。
- riywo 08-04-22 (火) 10:47
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>oyayubiさん
映像産業全体が,漫画化してるのかも知れませんね.最近のドラマも 原作がマンガであることが多いように,マンガの様な演出が多く見られます.
「時をかける少女」で有名なアニメ監督の細田守さんが言ってましたが,
最近は実写がアニメ化する一方でアニメが実写化している
ということも一つあります.ここで「実写のアニメ化」は多分 oyayubiさんの指摘する「漫画化」だと思いますが,「アニメの実写化」 については反論になっています.
少なくとも僕はこの立場で,「時をかける少女」「秒速5センチメートル」 「スケッチブック」「おおきく振りかぶって」などの(僕の好きな)作品では あまり「漫画のコマとコマの間を繋ぐもの」という感じを受けたことは あまりありません(もちろん感じるアニメもありますが).
最近のアニメと言っても,結構多くの分類ができると思っていて, 確かに多数派は漫画化されている気がしますが,そうでないものも あると思っています.また漫画化も絶対悪ではなく,「絶望先生」の 新房監督の様にそれすらも一つの表現法にしてしまう人もいますね.
ただ,僕自身マンガも映画も親しみがないので,アニメ盲目になって いるのかも知れませんorz
*コメント修正しておきました.また,名前とメールアドレスの入力を 必須にしておきました.
- oyayubi 08-04-22 (火) 12:49
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修正ありがとうございました。
>「時をかける少女」「秒速5センチメートル」
僕も、この二つはモーションピクチャの魅力を理解している人が作っているな、と思いました。確かに、最近のアニメを一括りにするような言い方は不適切でしたね。反省します。
ただ、アニメに限らず、最近の映像作家が「動画」と「静止画」の違いに、あまりにも鈍感なのは、やはり非常に気になります。「動画」という表現形式の魅力を存分に引き出すような作品を作れる作家が、本当に少ない。やっぱり、アニメにしても映画にしても、昔の方が「動画」の表現は卓越していたように思います。 それに最近は、「あの作家の絵は上手い」と言われることはあっても、かつての「板野サーカス」のように動きの魅力が評判になることって、あまり無い気がします。作る側だけではなく、見る側の意識も変わってきているのかも。まあ、そうであれば、それはそれで全く問題がない気もしますが。
それから、おそらくですが、細田さんの発言は、演出のリアリズムについて話をしているのではないかと思います。確かに、近年のアニメは写実的表現が巧緻になってきており、逆に近年の実写映画が、漫画やアニメのファンタスティックな演出技法を積極的に取り入れてるのは事実です。しかし、それは「静止画」や「動画」の魅力の話とは、あまり関係が無い気がします。
あ、あと漫画化が絶対悪ではないというのには同意です。マンガを読んで育った世代がマンガの影響を受けた表現をするのは当然ですし、するべきです。ただ、その時に、ただマンガを導入するだけではなくて、静止したコマを飛び飛びに読むマンガと、連続した時間の中で映像の動きを追いかける(ことが可能な)アニメの違いを、作る側も我々見る側も、もっと真剣に考えるべきなんじゃないかな、とは思いますね。
- riywo 08-04-22 (火) 14:01
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細田さんの言葉については鋭い指摘ありがとうございます.若干わざと 意図をずらした感じもするので,指摘して頂いて助かりました.
アニメに限らず,こういうものは作る側と楽しむ側が両方とも インタラクトして作ってるのですね.最近は確かに,「動き」といった 時変なものに着目する人が少ないと思いますね.楽しみ方が 変わったというのもある(声優だったり原作だったり)のでしょうが, アニメーションならではの「動画性」をもっと見て欲しいというのは 僕も同意見です.
ただ,変わろうとしてもテレビアニメだと企画から放送まで2年くらい かかってしまうので,その間に周りが変わっちゃったりするのが痛い ですよね.もしかしたら来年のアニメは動きがすばらしいアニメ ばかりになっているかもしれない.でもその頃には僕たちの関心は 別のところにあるかも知れない.そのジレンマはいつもあります.
静止画と動画という点においては,リミテッドアニメであるということを 強く意識して欲しいですね.動かすときは動かして,止めるときは止める. これが日本のアニメのユニークな魅力だと思います.ただ動くだけなら 実写や3Dアニメにすればいいのですから.
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