梅田本の最終章の書評をしてみるつもりが,書には全然触れられず,結局私見に戻ってしまった. 両先生の分析と,私塾とTwitterについての私見が主な内容です.
「私塾のすすめ」を読んで
ロールモデル思考法の例文集
タイトルから推測すると「私塾」に関しての内容っぽいけど,個人的にはむしろ 前著「ウェブ時代をゆく」で提唱した「ロールモデル思考法」についての 梅田・齋藤両先生による具体例を説明した本でもあり,また両先生をロールモデルと する人にとっては,その嗜好を感じ取れるものだったと思います.
ロールモデル思考法とは,自分を外界にさらしてみて,直感的に「この人の在り様が 好きだな」と思える人を真似するとか,参考にするという思考法のこと. 僕にとっては梅田先生はロールモデルだ.というか,あまりにも自分と似すぎているので ロールモデルにせざるを得なかった.
僕は正直言って,「ウェブ時代をゆく」からロールモデル思考法の重要性が 理解できなかった.「ウェブ時代をゆく」では例が長すぎてイマイチ頭にすっきり 入ってなかった.その後,梅田先生がロールモデル思考法を話しに出すたびに 「そんなに大事かな?」と疑問に思っていた.
「私塾のすすめ」では,途中でコラムとして梅田・齋藤の「私のロールモデル」と 「私の座右の書」が入っていて,ここを読んでロールモデル思考法の重要性が 分かってきた.ここでは,お二人が「誰の」「どのような部分を」「いつ」「どのように」 ロールモデルとしたのかが書かれていて,ここから帰納的に類推することで, ロールモデル思考法が分かってきた.また,本文中でも,
スケールで考えると,自分がニーチェや福澤諭吉のようなスケールで生涯を 終えるとはさすがに思わないけれど,そういうことを僕はあまり問題にしていません. スケールの違いというのはたいした問題ではなくて,「傾向」が似ているというか, 梅田さんの言葉でいう「存在のありよう」に関して,自分がその人に似ているかどうか, 「あこがれるかどうか」が重要だと思っています.(齋藤) p. 023
と言うように,「あこがれ」という言葉で言い換えられていて分かりやすかった. 彼らの「ロールモデル思考法」はすでに若い頃から徹底しており, 今更言葉にしただけというくらいに自然な行いの様だったが,僕にはとても 新鮮だった.なぜなら,僕はむしろ「ロールモデルなど要らない」と思って 生きてきたからだった.このことに関しては,次のエントリで詳しく書くつもりだが, 幼い頃から「ろくな大人なんかいないし,過去の人間は今とは違う時代のこと」と 決め付けて,「自分だけ」を頼りに歩いてきた.そこが梅田先生と僕の大きな違いだと 思うけど,結局歩いてみた結果,ロールモデルが必要だと気づいたのは,人生は 「有限」だからなんだと思う.
齋藤先生の行動力・梅田先生のオプティミスト的振る舞い
齋藤先生については著作も読んだことがないので,ほぼ先入観無しの初対面でしたが, これほどおもしろい人だとは思わなかった.ある意味で,またしても「梅田先生と 対極」の人が現れたなぁと思った.最初にこれを思ったのは「2ちゃんねるはなぜ潰れないか」 で西村博之氏という個を知った時だった.梅田先生とひろゆき氏は「同じことを オプティミスティックに語る人とペシミスティックに語る人」という意味で両極端だと 感じた.実際は,「私塾のすすめ」にも以下の様にあるけど,梅田先生の考えの原則は むしろ諦観である.
僕はよく,「こいつはオプティミズムばっかりで,バカじゃないのか」とネット上に 書かれるのですが,誤解している人が多いですね.僕が何でもうまくいくと考えている, と思われていたら,たいへん心外です.僕の根底には,だいたいの物事はうまくいかない, という諦念がある.事業をやる,誰かと競争する,何でもいいですが,ふつうにやったら 大抵は勝てない,ふつうは負けるものだ,と.(梅田) p. 136
しかし外向けに語る,特に若い人に向けて語る時はそれを踏まえた上でのオプティミストを 貫いているのだと思う.二人とも考えてることは同じなんだけど,結果というか語る内容は 全く正反対なので,二人が対談したら究極の平行線だなと思っている.
で,齋藤先生は語り口はおそらく梅田先生と同じなんだと思うけど,行動力が圧倒的に 強い.梅田先生は自身も「引きこもり」と言う様に結構遮断するけど,齋藤先生は 本は書きまくるし,講演ではどんな人も「無理やり」引き込むために,体操させたり 2人1組で今言った内容を要約し合ってもらったりするらしい.こんな行動力は見たことない. 齋藤先生はとても「疲れる」ことをやっていてすごい.
この違いは随所に現れていて,梅田先生はブログでのコメントや書評にいちいち つっこんだりはしないけど,おそらく齋藤先生がブログをやると「つい火元に行って, 思いっきり水をぶっかけてしまいかねない」と語る様に,積極的に絡んでしまうのだろう. この辺ははっきりとした差があって,じゃあ自分はどうかと言えば,齋藤先生の様な 行動力は僕にもありません.もちろん,これは好みというか気質の様なものなので 優劣はないでしょう.けど,やっぱり動ける人ってすごい.
じゃあ,梅田先生は行動力がないのかというと,そんなことなくて,むしろ 「動け」と言っている.それは「五十人にあたれ」という言葉.先ほどの 諦観にもつながるけど,大抵認めてもらえないので,50人くらいは当たってみろということ. 実際,梅田先生はコンサルの営業のときは数当たることが仕事だったらしい. でも,何か齋藤先生の「行動力」とはちょっと違う気がする.よくわかんないけど.
時間を制御するという才能
本書全体を通して感じることだけど,二人とも「時間」のコントロールがべらぼうに上手い.
最近本当に感じるのは,情報の無限性の前に自分は立っているのだなということです. 圧倒的な情報を前にしている.そうすると,情報の取捨選択をしないといけない, あるいは,自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない.(梅田)p. 183
これが,1日とか1週間というスパンでもできるし,さらに言えば「人生」というスパンで 切り分けられているからすごい.僕はテストというゲームが得意だというのは前から言ってる. テストのポイントは「時間制限有り」ということに尽きる.だから,その時間制限の中で 最大限の効果を発揮する方法を取ることが重要だ.で,これに関しては天性の才能があったと 思っている.
だけど,テストという与えられた時間の中だとできるのに,人生というスパンでやったことがなかった. ずーっとゴールが見えないまま,というよりイメージしようとしないまま,無為に過ごしてきた. 対して,両先生は5年スパンで人生を区切ったりして,この時期はこれをやろうと決めて 生きてきている.これってそう簡単なことじゃない.自分に確固たる自信がないと,5年分の人生を 決めることなんてできない.きっと,そこでその自信の根拠になったりするのが「ロールモデル」 なんだと思う.この辺から,ロールモデルの重要性を発見できた気がする.
「関係性」としての「私塾」
さて,タイトルの「私塾」について何も書かなかったけど,はっきり言ってこれは 今更言うことでもない気がした.僕は自分が考え抜いた末に,「私塾」やりたいのかなと 思っていたところに,梅田ブログに「私塾のすすめ」なんてタイトルの本が来た時点で, 「あぁやっぱりそうだったんだ」と思ったので,新しい発見よりは,そうだね,と 思うことばかりだった.
とは言え,それではイマイチなので少しは書く.たぶん,頭の固い人は「私塾のすすめ」 というタイトルを見た時点で,「個人塾の指針でも書いてあるのか」と思うのだろう. 確かに,本書の中でも適塾や松下村塾が出てきますが,現代にそれをまたやれと 言っているのではありません.この本で言いたいのは,ネットというツールによって 「私塾的関係性」へのハードルが下がったという一点だと思います.リアルに 私塾を経営したり,ネット上に私塾を作ったりとか,そういうレベルの話ではなく, 吉田松陰が獄中で孟子を説いた様に,突然フッと沸いて出る私塾が,吉田松陰スケールで なくても,多くの人に可能になったんだということ.
Twitterはメタ私塾としての構造を持っている?
僕は,すでにTwitterがそれに一番近い形を取っていると思います.あそこには 時が時ならリアルに私塾を出来るであろう人がたくさんいます.また,そういう師から 学びたいという人もたくさんいます.それらの人がごちゃ混ぜになって,日夜,会話という よりつぶやきを続けています.気が付くとある人達が「教育」について語りあっていたり, 同時に横では誰かが「経営」について語っていたり,その隣では「パンツ」について 語りあっていたり.志を持とうという意思の無い人から見ればただの混沌でしか ないけれど,そこには「私塾の卵」が生まれ続けている.そんな感覚がします.
私塾というのは,師だけでは成立しなくて,学び手が必要であり,二者間に優劣は ない.どちらも補完しあう存在であり,そのマッチングがTwitter上ではFollowや タイムラインやリプライなどを通じていつでも行われている.私塾をメタに捉えれば, 私塾をより生み出しやすい構造が,今Twitter上に存在するのではないかと思っています. ブログで同じ現象を期待するよりも,ずっと簡単に起こると思います.梅田先生の様に 既に「何者かである」人はブログという「看板」が超有益に働きますが, そうでない僕らにとっては,ブログで私塾的関係性を保つには消費するエネルギが 高すぎる.Twitterなら,誰も看板は持ってなくてとてもフラット.ネットが, Googleがフラットにしてきた人間関係をさらにフラットにしているのではないかと 思います.
まとめ 「いいから黙って読め」
という感じで,前半は「梅田齋藤批評」になり,後半は「Twitter私見」になったという 全く書評になってない感じですがひとまず終了.まぁ,実は言いたいことは 「いいから黙って読め」くらいしかないので,これで十分でしょうw
梅田本はいつも思うけど,僕なんかが下らない書評を書いて,それで曲解されるよりも, ともかく自分の目で読めと言いたい.受け取りかたは人それぞれだと思うけど, 食わず嫌いするにはもったいない本だと思うものが多い.特にちくま新書から出ている 「ウェブ進化論」「フューチャリスト宣言」「ウェブ時代をゆく」,そして本書「私塾のすすめ」は, 日本語ネイティブな大人なら,読んだ時間分くらいの価値は少なくとも万人にあると思う.
これからのこと
さて,タイトルに「2008年に思う自分」とつけましたが,これから3つ程シリーズで 行こうかと思います.とは言えそれほどブログに慣れていないので上手くシリーズにも なっていないませんが,こんな感じでやっていこうと思います.
次エントリでは,思いっきりプライベートな方向で,「梅田先生と私」でも書こうかと 思います.梅田本数冊を通じて,どうして僕がこれ程までに梅田先生に惹かれるのか, 梅田先生との違いは何なのか,について,ガチで自分を振り返ってみたいと思います. ちょうど,梅田先生が執筆業は一段落ということなのでタイミング的にもいいかと.
その次には「僕の未来像 教育とビジネスと」でも書こうかと思います. 卒論の時期から1年くらい自分を見つめなおした結果,何となく見えてきた自分の 将来について,今の思いを記録しておこうと思います.梅田先生は15年くらい 自分について考え続けたとあるので,まだまだ序の口ですが,それをオープンにして 記録できるのがウェブの強みだと思うのでやっていこうと思います.
- Newer: Web上のプライベートメモをどのようにとるか
- Older: インフラに制約されるコンテンツ
Comments:0
Trackbacks:1
- Trackback URL for this entry
- http://blog.riywo.com/2008/05/14/000749/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- 「私塾のすすめ」書評(梅田齋藤批評+Twitter論)-「2008年に思う自分」その1 from As a Futurist...
- trackback from ishikoro 08-06-03 (火) 23:17
-
【本】私塾のすすめ
私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる ちくま新書 (723) 梅田望夫 2008/5 梅田さんの最新作。ウェブ進化論で紹介された羽生名人のコメント、「ネットの普及がもたらした学習...

