情報整理という知的生産を好む人,好まない人

前エントリで情報の粒度を上げるためのツールを準備したわけだけど,じゃあ実際どうやって 情報を取捨選択するのかを考えると難しい.誰にでもやれる作業じゃないと思う.その好みを考えてたら テレビってやっぱりイマイチだよなぁという毎度の話になっていった.

情報整理のポイントは「編集」

一番の難しいポイントは「どこを記録するか」だと思う.「何を記録するか」は多分簡単に決まる. 例えば,僕の SBM の「名文」タグをつけてるエントリなどは全部今から転写したい.

だからと言って,全文を転写しても意味がなくて,情報を生産するには自ら「編集」しないといけない. 梅田先生も仰るように「編集」は「捨てる作業」ですよね.だから難しい.でも,そこにこそ 僕の脳みそを使う価値があるとは思ってます.

裏を返せば、「肝」以外を捨てる技術だと言えるかもしれません。とりわけウェブの情報量は無限大で、 かつ玉石混淆なので取捨選択が重要ですし、本を精読するにしても、その情報を使いこなすためには凝縮が必要です。

グーグルに淘汰されない知的生産術 – My Life Between Silicon Valley and Japan

知的生産を好むか好まないか

多分,普通に生活してる人,特にテレビピープルな人はこういう話を聞けば,「なんでそんな めんどくさいことやるの?」と言うんだと思う.彼らはテレビなどマスコミから洗練された 情報が流れてくると信じていて,そういうところをきちんとチェックしている(例えば日経読んでますとか)ことで 自分も良質な情報を得ていると思っている.

多分,それは間違ってなくて,マスコミの人達はあれだけ高給もらってるわけで,それなりに一所懸命の 仕事しててその結果なのだからある程度妥当なんだと思う.けれども,それと「知的生産」は多分違う.

「知的生産」はバズワードかも知れないけど,僕が意図する所としては,梅田先生はじめ,ああいう方々が 貴重な時間を割いてまで本を読み,ブログを読み,自分の考えを練り,ブログや本を書く,という 行為をしている現象,といったところ.これをみんなに強要しても無理だ.テレビピープルな人は いつの時代も一定割合で存在するのであり,彼らにとって自ら知的生産を行うことは必要ではない. 生活する上で必要なのは,ファッションだったり芸能だったり恋愛だったりするのだ.

でも,僕みたいにそんなのにまるで興味のない人にとっては,彼らのファッションに相当するのが 「知的生産」なんだと思う.だからやらずにはおれない.

質の落ちたマスコミの情報から抜け出すには

ただ,最近かわいそうなのは,マスコミを通じて流れてくる情報の質が相対的に低下してること. その昔はマスコミも知的生産に興味のある人が結構いた気がして,それなりのモノが流れていた気がするけど, 自分がマスコミの就職活動をしてみて感じたのは,そういう空気はもはや限りなくゼロに近いということ. そこには「ノリ」であったり「お祭り」みたいなものしかなかった.新しいものを求める本質的な 嗅覚はもはや存在しない気がした.そこで行われているのは,やっぱりファッションや芸能が好きな人が, 片手間で仕上げた様なニュースで適当に盛り上がり,ノッた人がまたマスコミに入るという拡大再生産の構図. これはやはり最近のことなんじゃないかと思っている.この辺は,昔を知ってる人にツッこんでもらいたい.

知的生産にみんなが興味ある必要なんてないけど,その成果物はもっと多くの人が受け取った方がいいよなぁと 思う.その意味でウェブは可能性を開いたけど,じゃあ RSS リーダ使って自分でガツガツとそれらを 得ようとしている人の割合なんて,たかが知れてる.その辺を指して,僕は「ウェブリテラシ」が必要だと 思っている.梅田先生の方向とはちょっとずれるかも知れないけど,テレビのインタフェースは優秀で, 電源つければもうそれで情報が流れてくる.あの簡便さに少しでも近づかないと,テレビピープルは 決して動くことはないと思ってる.ただし,そのためにこちらのインタフェースを簡単なものにしていくだけ では,本質的な解になってなくて,彼らも少し引き上げる必要がある.

成長に従ってみずから求めるようになるべき

上から目線で書いてる感じだけど,実は僕がほんの少し前までは「あちら側」にいたからこそこういう ことを書いている.僕は結構特異な人だと思ってて,知的生産 VS テレビピープルで言えば,割と 両方の立場・考え方を経験してきた方.どちらかの立場でしか生きてきていない人が言う言葉は, 反対の立場には決して届かない.でも,両方を経験した人ができる重要な役割は,その間の インタフェースとなることができること.僕はこの役割を果たしたいと思っている.

そういう視点で言うと,やっぱりテレビピープルはあまりにもモノを考えなさ過ぎる状況だと思う. 別に,みんながみんな知的生産をしろなんて言うつもりはない.そんなの,僕に恋愛をしろと 言うようなものであって,無理にも程がある.だが,受け取るインプットは選んだほうがいい. もちろん,理想は幼い頃から優秀なインプットにさらされ続けることだが,親を選ぶことが できない以上,それを万人に期待することはできない.僕の様にテレビどっぷりで 育つ人もたくさんいるだろう.だが,そういう人も,気づいているのであれば,やはり自ら選択すべきだ.

いろんな人が,テレビを捨てればいいと言っている.僕は昔はそんなの嘘で,別にテレビも見つつ, さらに良質なインプットも増やせばいいと思っていた.でも,それはなかなか難しいことだと気づいた. まず一つには,そういう並列情報入力の才能が万人にあるわけではないということ.そもそも論として, 僕みたいにテレビつけっぱなしで片目片耳向けながら,もう半分でブログ読んだり,ラジオ聴いたりする やり方は誰でも出来るもんでもないらしい.もう一つは,人生は時間的に有限であるという事実. 完全に並列入力はできないので,ある程度はタイムシェアリングせざるを得ない.そうすると, 入力の次元数に比例して時間がかかってしまう.人生が無限ならそれでもいいけど,80 年という限られた リソースをどこに配分するかという視点で考えれば,どうしても良質なものを選ばざるを得ない.

知的生産はしなくても,知的入力はした方がいいと思う

ということで,これ読んで何か気づいた人がいれば,やっぱりそれはちょっと動いた方が いいと思う.確かに,テレビという共通の話題を減らすことは,今の人間関係にそれなりに ダメージを与えてしまうかもしれない.それを上回るメリットを感じられないなら, なかなか移ることも難しいだろう.

メリットが上回るならば,すぐに行動した方がいい.さらに,知的生産まで進みたい人がいるなら 今すぐ初めて,知的生産のストックを増やさないと話にならない.そこまで思わない人でも, 入力を工夫したいと思う人は,RSS リーダの使い方を覚えるところから始めると良いと思う. この辺も,一度自分の経験をまとめておきたいところだ.

アルファな知的生産をする人々に追いつきたい

そういうわけで,あのテレビの虫であった僕でさえ,最近の情報入力源はほぼネット上の アルファな知的生産をする人々になりつつある.

アルファな人々は,時が時ならきっと「哲学者」(注:哲学学者ではない)と呼ばれていただろう人々. 彼らの考えていることは,世界を変えないかも知れないけど,ヒトを確実に変える. 全く同じ様に見える世界でも,そこで考えていることが 180 度変われば,同じ行動でもその価値は 反転するわけだ.そういうおもしろさを提供してくれるのがアルファな人達.僕はその末席に加わりたいと思って いるけど,まだまだ自分のエントリには人をひきつけるだけの魅力はない.その理由は端的にいって, 「ストック」が少ないからだ.その場で反射的に考える分にはそれ程能力として劣っているとは 思わないけど,ともかく情報のストック,考えのストックが少なすぎて,いつも刹那的文章に なってしまう.嘘も書くから最低最悪だ.

だから今,情報の整理が必要なのだと思った次第.これがきちんと軌道に乗れば,かなりエントリは 書きやすくなるはず.金言を集める仕事,これで稼いで飯食ってる梅田先生はやっぱり僕のロールモデルだよ.