初心者が「構造構成主義とは何か」を読む ~その4~

今日は西條先生が感銘を受けた池田先生の「構造主義科学論」に入った。 結論から言うと、なるほど、なんとなくだが、「外部実在」も「認識構造の同一性」も 仮定せずに「科学」をするために、「構造」ってのを考えることでうまくいきそうな 感じはする。なんとなく感じていた自分なりの解決策とも一致している気がする。 とはいえ、まだまだ入門したてなので、大して理解できてない。まだまだこれからだ。 「構造主義科学論の冒険」は既に手に入れたので、これでしっかり補強しよう。

ともかく構造主義科学論とは?

デカルトの様に徹底的に懐疑する、つまり疑わしいものを全て疑っていった 結果、そうやって疑ってかかる「私」だけはどうしても認めざるを得ないことが分かる。 (デカルトはここで、疑っている主体が私の「心」であるという様に間違った方向に 行ってしまったらしい)そこで、「私」という存在だけは疑えないのであれば、 「私」が考えている「観念」や「私」の前に立ち現れる「現象」も疑うことができない。 (ちょっとこの辺がいまいち理解できてないけど)

ここから僕の解釈で書いていくので注意。まだほとんど理解できていないけど 無理やり自分なりに理解できる論を組み立ててみる。

「観念」や「現象」は「私」によって「コトバ」に抽出される。ここは前回の 議論にあったように恣意的だ。だから、ここに他人との共通性は見出せない。 しかし、それら「コトバ」の「構造」には共通理解できるものが存在すると 思わざるを得ない。つまり、「コトバ」と「コトバ」の「関係性」には 「客観性」が存在すると考えられる。「現象」から「コトバ」を抽出する 方法そのものが「構造」であり、そこに共通性があったとき、「私」は「他人」と 共通認識が可能になる。その際に、「コトバ」自体が共通である必要は全くない。 それで、科学というのは「構造」を記述するものであり、「現象」をより良く 記述できる「構造」の方がより有効な「構造」になってくるということだ。

ここで大事なのは、「外部実在」は仮定していないので一見客観的でないようだが、 「構造」という共通理解性を有するものがそれを担保しているような感じになっている。 また、私とあなたが見ている「犬」は同じでない(認識構造が異なる)可能性も あるが、二人の前に現れている「犬」という「現象」から「イヌ」というものを 共通に理解できるような「コトバ」の「構造」が二人とも抽出できていれば 「イヌ」を共通に理解できるということ。

初めて構造主義科学論に触れて

西條さんのまとめでは、たった見開き1ページに書かれているこの内容。これが 構造主義科学論の内容なのだとすると、実に「シンプル」だなぁというのが 感想。正直、中身についてはまだ納得いっていない部分もあるので、これからだが、 コトバとコトバの「関係性」に注目しているところは個人的な興味ともかぶっているので いい感じだ。

戦略的に立場を選択している

構造主義科学論は、懐疑論や独我論や観念論になっているが、これはそこに陥ってしまった のではなく、戦略的にこういう立場をとっている。それはその戦略性、つまり「目的」と 切り離して批判を浴びせても意味がない。この説明はなかなか鋭いなぁと思う。 いろんな分野で批判というのはなされるが、「目的」と切り離した批判というのは たくさん存在する。でも、批判している対象が、あえて戦略的にそういう立場を とっているのだとしたら、その戦略から切り離して批判することに意味がないことは 明らかだ。これはもっとみんな意識すべきだろうなぁ。

今日はここまで。「構造主義科学論」についてはまだまだこれから勉強しないと いけないので、軽くこんなくらいにしておこう。こんな理解でいいのかも怪しいけど、 まぁこれからいくらでも修正していける。

土曜日 08-10-17 (金) 0:28

はじめまして。初心者が「構造構成主義とは何か」を読む ~その1~にTBした土曜日と申します。私、この本を昨日から読み始めました。こちらを拝読して先達にいろいろ教わりました。「ありがとうございました」が言いたくてコメントさせて頂きました。ではではまた。

riywo 08-10-17 (金) 10:46

>土曜日さん

コメント&TBありがとうございました^^

僕は偶然で構造構成主義に出会って,「自分が言いたかったことは
これじゃん!」と思いました.自分の頭の中を既に西條先生が
言葉にしてくれていたので,あとはこれを宣伝するだけだということで
この辺のエントリ書きました^^

ぜひ土曜日さんも自分の関心領域にひきつけて継承してみて
下さいね.これからもよろしくお願いします.