初心者が「構造構成主義とは何か」を読む ~その2~

前回は「現象学的思考法」ということで、「判断中止」と「還元」について 学びました。さらに読み進めると、次は「関心相関性」というものが出てきました。

関心相関性とは

「構造構成主義とは何か」P.55 に出てくる”数式”が関心相関性をよくあらわしています。 (と思ってしまうのは、やっぱり自分が数式屋さんの出自だからだろうか^^)

「自分が素朴に感じている価値」=「当該領域におけるその研究の意義」×「関心」

これも、前回の現象学的思考法に続いて、至極当たり前のこと。自分の前に現れる物事 というのは、結局のところ、自分の関心によっていくらでも増幅されたり減衰されたり しているなんて、ちょっと「判断中止」すれば「還元」できること。例えば、僕は オタク系な文化が好きだけど、いわゆるリア充はオタクな文化なんか見ても何も 感じない。でも、それはオタク文化に価値がないのではなく、リア充がオタク文化に 「関心」を持っていないだけなのだ。係数がゼロなのでどんなものも価値を感じない。 もしかしたら、係数は負の値で、オタクがより喜ぶ物ほど吐き気を催すのかも知れない。

大事なことは、これがどんなことにも当てはまると「納得せざるを得ない」ということ。 関心相関性は真実・真理として、どこかに存在しているものではなく、「普遍的洞察性」を 持っていて、つまりみんな納得できるということ。これに対する反論は、どうやら みんな「根本仮説」を持っている。「根本仮説」ってのは、それを正しいと認めればいろんな 物事を正しく説明できるのだが、その中では「根本仮説」そのものの正しさを 証明できないのだから、結局「信念対立」に陥ってしまうってのは、多分 ちょっとモノを考えたことのある人なら分かるはず。

その意味で「関心相関性」ってのは「人間科学」における「信念対立」を回避するための 理論としての「構造構成主義」にとって、とても中核的な原理であることは間違いない。

なんか、すげぇ頭いいっぽいことを書いてるけど、ほとんど本に書いてあることなので 誰でも「構造構成主義とは何か」を読めば分かります^^

ということで、今日はこんなところ。この次は「ソシュール言語学」と「記号論的還元」らしい。

参考にした方がよさそうな人

  • 関心相関性

    • 養老孟司
    • ニーチェ
    • ハイデガー
    • 竹田青嗣
    • フッサール
  • oyayubi 08-02-24 (日) 0:32

    その本を読んでないので、イマイチよく分からない事だらけです。それ故、的外れな質問かもしれませんが、以下に答えてくださると幸いです。

    1.
    「当該領域におけるその研究の意義」というのは、その人の主観によるものですか? もしそうで無ければ、客観的に「研究の意義」を判定する方法があるという非現実的な想定をすることになるのではないでしょうか。それは論外なので、主観によるものと想定して読みましたが、一応お願いします。
    あと、そもそも「自分が感じる価値」って、この二つの要因にキッパリ分けられるモンなのでしょうか。例えば、フロイト的なコンプレックスとか……というのは冗談にしてもw、納得がいきません。

    2.
    「納得せざるをえない」というのは、riywo さんがそう考えるという意味ではなく、「関心相関性」という概念自体がそういうものだという事ですよね。そうだとすれば、1.に書いた理由により、僕は「関心相関性」について納得できないので、困ってしまいます。「関心相関性」が、万人が納得せざるをえない概念である理由を厳密なロジックで説明していただけないでしょうか?

    3.
    それから、「関心相関性」に「根本仮説」が反論としてぶつけられる理由もよく分かりません。「誰もが納得できる」という想定や上記の式の導出に、さしたる根拠が書かれていない以上、僕には「関心相関性」は「根本仮説」の一種にしか見えないからです。そもそも、「根本仮説」を主張する人って、大抵、自分の主張は「誰もが納得できる」と想定しているもんだと思うのですが、彼らと構造構成主義者の違いって、どこにあるのでしょうか?

  • riywo 08-02-24 (日) 9:08

    まだ読みきってもいないですし、そもそも僕は哲学とか一切勉強したこと
    ないので、こちらこそ的外れな理解かもしれませんが、一応今の僕の理解で
    説明してみます。

    そもそも、構造構成主義を考えた理由に、「素朴な思考法だと、信念対立してしまう」という
    「人間科学」の「呪い」を解きたいという発想があるようです。例えば、
    「それは科学じゃない」みたいな対立がよく見られますが、本を読むとどうやら
    そういう対立って、自分で気づかないうちに自分が正しいと思い込んでいることに
    よって起こっているらしい。だから、それらを一旦「判断中止」して、
    どうしてそう思い込んでるのか考えてみると、自分の「関心・欲望・目的」という
    ものに引きずられているのか、ということで、「関心相関性」ってのが
    出てきてるようなイメージです。(あくまで僕のイメージ^^)

    1.については、ある程度は客観的なものを想定しているように思います。

    研究の内的一貫性、論理的整合性といった「質」は重要である。
    ここでは、そうした研究の「質」に焦点化して妥当な評価をするためにも
    関心相関的観点を身につける必要があると主張しているのだ。

    とも書かれているように、「当該領域におけるその研究の意義」という因子を
    わざわざ出してきたのは、各自が感じる価値は完全に関心だけで決まっているのなら
    「妥当な評価なんかすることはできないのだから、どんな研究も等しく価値がある」という
    暴論に至らないための、セーフティバルブではないかと思っています。
    いわゆる要素還元的にきれいにすっぱり分けているものでもないと思いますが、
    全くごちゃ混ぜにすることもなく、中庸的な発想をしているように僕には感じられました。

    我々人間の外側に「客観的な価値」があるわけではないけど、その土俵(当該領域)で
    人間が考えてみるにおいては「客観的な価値」は想定できるというような感じもします。
    なんかあんまり答えになってない><

    2.については、本ではお金の例を出しています。お金は絶対的な価値があるように
    感じるが、砂漠の真ん中ではお金自体の価値が低下したりするように、価値というのは
    関心と相関しているとしか考えられない。本を引用すれば

    経験の積み重ねによって、お金に対する「万能観」「絶対観」というものが
    強い信憑として多くの人々にとりつくのだ。こうしたことから、「われわれと
    独立に絶対的な価値が実在する」という「素朴価値実在論」を信じるのは、
    個人の自由だが、原理的には破綻しているのは明らかであろう。

    3.にも関連しますのでそっちに移ると、ここではニーチェを挙げています。
    ニーチェはニヒリズムや懐疑論は「探求者が、<社会>は人間の類的本質を
    完全に実現しうるような状態へゆきつくべきであるという『意味』を『探しもとめ』
    、しかし逆にその道筋不可能性を見出したところから現れたもの」と言っている
    らしいです。そうすると、何でもありの相対主義になってしまうのでそれを避けるために
    ニーチェは「力への意思」が全ての根底だと考えたようです。

    「『人類』ではなく、超人こそ目標である」(超人は「ルサンチマンを持たない
    『強者』、高貴な人間における『生への欲望』のありようを、人間一般の『価値』の
    モデルとする」という思考プロセスから導かれたものらしいです)とニーチェは
    言っている様に、超人への志向を規定してしまっていて、根本仮説となっている。

    一方で、関心相関性と同じようなことを言っている竹田の「欲望相関性」では、
    「存在や意味や価値は『欲望』と『相関する』ということしか言っておらず、
    その欲望の『方向性』や『最終目標』を定めてはいない。したかって、『欲望相関性』は
    相対的に根本仮説的性質を帯びていないという意味で、懐疑に耐える原理性を
    備えており、より純度の高い『原理』として抽出されている」と本では言っています。

    oyayubi さんがおっしゃるように、根本仮説を主張するときは「誰もが納得できる」と
    思い込んでいるんですが、それら全てにちょっと待ったと「判断中止」をして、
    どうしてそう思うのか「還元」してみれば、自分がそのフィールドにずっといるから
    だったり、それを正しいと思いたいだったりと、自分の関心・欲望・目的に
    大きく引きずられていると分かる。だから関心相関性というものを皆が
    納得せざるを得ない、というところから議論を出発させることで、根本仮説同士の
    対立を回避しようとしているんだと思います。

    ただ、僕の説明だけでは多分「関心相関性」が納得できるものになっていないのだと
    思います。(僕は少なくとも納得しています。)多分こういう問題については oyayubi さんの
    方が知識も経験もあるようですので、ぜひ「構造構成主義とは何か」を読まれて
    僕に教えて頂きたいところです^^ もちろん、読んだ結果、こんなの嘘っぱちだという
    説明でもかまいませんし。西條さん自身「構造構成主義も、構成された 1 つの構造に
    すぎない。したがって常に構成され続ける必要がある」と述べています。
    oyayubi さんの様に物事よく考えている方にはぜひこの理論を体験してもらって
    建設的なコメントをもらいたいところだと思います。

    ちなみに、フロイトを引き合いに出されていますが、申し訳ないですが僕は
    フロイトが何言ってるのか全く勉強したことないので知りません>< よって
    流させて頂きました orz

  • oyayubi 08-02-24 (日) 21:55

    >ぜひこの理論を体験してもらって建設的なコメントをもらいたいところだと思います

    そうですね。読まずに質問し続けるのもアレですし、とりあえず就活が一段落したら、読んでみます。

    あと、フロイト云々はしょーもない冗談ですから、気にしないでください(ひと昔前のアメリカ映画等でしばしばあった、「君がキノコを嫌うのは、自分の男としての能力にコンプレックスを持っているからだ!」とかの、あの手の下品な冗談の元ネタになってる理論を唱えた人です)。困惑させてすいませんでした^^; 要は、「この二つ以外には要因が無いなんて言い切れるの?」ということを言いたかっただけです。