初心者が「構造構成主義とは何か」を読む ~その5~

今回でとりあえず終了です。なぜなら読み終えたからw

結論から言うと、思った以上に理解できたのでさっと書くには書きたい量が多すぎになった。 だから、しばらく頭の中で反芻したり、自分なりに継承してみたり、図を作ってみたり しながら、理解を深めていきたいと思う。そして、自分の考える「構造構成主義」を 書いてみたい。それは、内藤朝雄さんが「いじめの社会理論」に対して「<いじめ学>の時代」を 書かれた様に、より平易な言葉で「構造構成主義」を広めて行きたいと思った。

人間科学の方法論

関心相関的選択

これは認識論の問題を解決する重要な概念だ。従来、客観的外部実在を前提とする 「客観主義」と、現実は社会的に構築されるものであることを前提とする「社会的構築主義」は 相容れないものであった。客観主義からみれば社会的構築主義は客観性に欠けるし、 逆は外部実在なぞというものは社会的に構築されたに過ぎないと結論付けられる。

これらは認識論の問題であり、認識の前提がずれていることに自覚がないことによって 生じるということは、本の最初の方から一貫して説明されていることである。 そこで、構造構成主義では客観主義の様なただ一つの真実を仮定することはしないが、 なんでもありの相対主義でもない、うまいコーディングをする。

構造構成主義では「方法論的多元主義」を取る。すなわち、構造というものは 原理的に恣意性を持つので、ひとつの現象を説明する構造は「複数」存在することを 前提とする。これを「出発点」とするところが、客観主義とも社会的構築主義とも異なる。 客観主義ではそもそも複数性は認めないし、社会的構築主義の様な多元主義は それを「終着点」としているため、客観主義側からの「何でもアリ」という批判から逃れ得ない。 しかし、構造構成主義では多元主義を「出発点」とすることで、どちらの立場も うまく利用できるより良い説明法として方法論的にまず多元主義を前提とする。 これについての信憑性は、今までの議論の中で妥当であると思われる。

その上で、構造構成主義では「関心相関的選択」を行うことで、戦略的に様々な 立場を取ることが可能となる。そもそも複数の構造が存在するのだから、それぞれの 構造に対して適切な立場を取って説明すべきなのである。従って、各自の 目的や関心に応じて「関心相関的」に理論や認識論、方法論、アプローチ、分析法を 「選択」することが可能となる。このような立場にたてば、従来の「客観主義」と 「社会的構築主義」はそれぞれ、「構造構成的客観主義」「構造構成的社会的構築主義」へと 変容する。前者はある現象の「構造化」のために「戦略的にあえて」外部実在を仮定する ものであり、後者はある現象の「構造化」のために「戦略的にあえて」現実は社会的・言語的に 構築されるとするものである。

このようにして、場当たり的折衷主義ではなく、方法論的多元主義を取ることで、 質的研究と量的研究で得られた結果が相反するときに、矛盾しているとあきらめる必要が なくなる。それらはまったく矛盾しておらず、「質的研究という枠組みで検討するとAという 結果がえられ、量的研究という枠組みで検討するとBという結果が得られる」という 一段上の結果が認識される。

構造に至る軌跡

客観的構造を仮定する量的研究などでは、必ず実験や観測の「条件統制」を行う。 統制された条件を再現して実験すれば、再度同じ結果が得られるということに 基づいているわけだが、原理的にまったく同じ条件というのは存在しないし、 それが実際上は問題ないとできる分野もあるにはあるが、それはハードサイエンスと 呼ばれる分野に限られるだろう。

特に、人間科学においては難しい。たった一回しか見られなかった現象を 捨てることになってしまうからだ。だから、構造構成主義では「条件統制」では なく「条件開示」を基礎に据える。つまり、そのときの条件を必要な限り オープンにすることで、科学足りうると考える。

ある構造を提起する際に、それがどのような対象を、どのような目的で、 どのような観点から、どのようにデータを集め、どのように分析し、 どのように解釈したのかという条件を開示していくことで、読み手はその 条件に照らし合わせて構造の有効性や信憑性を判断できるのである。

そうすると、どこまで開示するのかが問題になると思われるが、そこは 目的との関心性に基づいて選択すればよい。そもそもすべての条件を記述することは 原理的に不可能なのだから、必要に応じた条件を開示することが妥当だろう。 このように、条件開示して構造を提起することを「構造に至る軌跡」と呼ぶ。

関心相関的継承

さて、構造構成主義の立場では仮説をどのように引き継ぐのか。 従来のハードサイエンスでは先行研究を「検証」することで引き継いできた。 検証とは外部実在と仮説との関係を確認する作業であり、外部実在の存在を 仮定している点で、そうでない研究に対しては有効でないことは明らかだ。 また、検証は立証か反証の二者択一のために、先行研究を「解釈」することはない点からも 意味の複数存在を前提とす意味領域での人間科学に利用することができないこともわかる。

そこで構造構成主義では「継承」という方法を採用する。それは、検証をも含んだ方法である。 先行する仮説に対して、細分化・精緻化していく「確認的方向性」=検証と、 記述・解釈の多様性を拡大する「発展的継承」が存在する。これらの方法を 各人の研究対象や目的と相関的に選択可能である、「関心相関的継承」が 構造構成主義によって仮説を引き継ぐ方法なのである。

アナロジーによる一般化

「関心相関的継承」の他にさらに飛躍的に継承する手法が存在する。 それが「アナロジー法」である。

ある現象に対する研究で明らかになった構造を、まったく異なる現象に対して あてはめてみることを「アナロジー法」と呼ぶが、従来の枠組みでは それは自覚されずに「なんとなく」行われてきた。構造構成主義の立場に たって考えることにより、この「アナロジー法」でさえ理論的に基礎付けられる。

アナロジー法による発展的継承は、飛躍的な発展になる。事実、歴史的に 残る多くの科学的発見がアナロジー的思考によって達成されているらしい。 アナロジー的思考には3つの制約を考えることができるのでそれぞれを考えてみる。

「類似性の制約」とは含まれる要素の「直接的な類似性」が必要とされることを指す。 これはベース領域とターゲット領域の2つの領域での「構造に至る軌跡」を開示することが 必要であることを意味する。量的研究であればデータ収集の状況を記載すること、 質的研究であれば十分に状況を記述する「厚い記述」をすることになる。こうすることで、 読み手の関心相関的に2つの領域での要素間の類似性を確認できるようにする。

「構造の制約」は、ベース領域とターゲット領域で、同じ様な構造を持っていることを 示すことだ。このためには、その構造を図などで明示的に示す必要がある。

最後に「目的の制約」は、何かを理解しようという目的といった、関心と相関的に アナロジーを利用するのだと思うことが必要である。目的があってアナロジーを 使っていることを明確にすることが必要となる。

この3つの制約を満たすようにすることで、アナロジーを用いて様々な構造を 一般化することができる。西條はこれを「演繹法と帰納法の間」の一般化と書いている。 演繹法とは天才的な発想で一般性を仮定して論理的にそれを立証することで 一般化することであり、帰納法とはたくさんの現象を記述することで それらに共通する一般性を認識構造の共通性を担保として導いて一般化することである。 演繹法にはまさに天才的なセンスが必要であるし、帰納法は統計に代表されるように ある程度妥当な結論を導くのには有効だが、飛躍した結果を説明するのには向かない。 ちょうど中間であるアナロジー法では、ある現象の構造をゼロから考えずとも、過去の知見から 探すことが可能であるし、それが今までのものと比較して突飛なものであっても、 先の3つの制約を満たすことで、十分に論理的に説明できるのである。

構造構成主義とは何か

やっとまとめられる。ここまで読んで、結局「構造構成主義が何なのか」をひとつの 言葉で言い表すことはできないという結論も十分に納得できるものとなった。 あえて言うならば、それは「人間科学における考え方の理路」であるから、 どのような分野にも当てはめることができるのである。構造構成主義の中心的 観点である、「関心相関性」を導入することで、人間をとりまく様々な矛盾は 解決に向かうことが、この本を読むことで納得できてきた。

構造構成主義のそもそもの目的は「人間科学において自然発生してしまう信念対立の解消」で ある。そういう目的に対して関心相関的に考えて、構造構成主義という立場は かなり信憑性のおける妥当なものであると、僕には考えられる。おそらくこの本を 読んだ多くの人もそう感じてくれるのではないかと思う。もしも、納得いかないという 人がいるのであれば、それはまだ構造構成主義が「信念対立」という現象を うまく説明できる構造になっていないだけであり、よりよい構造を探していけば いいだけなのであって、無用な争いは避けるべきである。

ということで

最初は読みながらメモすることで、もう一度読むときの理解の助けになればと思ったけど、 途中まで読んだ段階で大体分かってしまった。なので、自分が理解している構造を 一度言葉に落とし込むことにこのエントリ群を使ってしまった。まだ甘いはずだ。 だって、読みながら書いてきたんだし。その辺はおいおいがんばっていく。

とりあえずは、構造構成主義という視点を持ってしまった後では、それ以前の視点に戻ることは できないとだけ言っておこう。なぜならば、それまでの視点をも包含しているメタな視点を 提供してくれたからだ。今のところ僕の前に立ち現れる現象で、構造構成主義的に説明できない ものはないんじゃないかと思える。それくらいに強力なメタ化を行ってくれた。

なんとなくもやもやしていたものを言葉にしてくれた感覚は、梅田先生の本を読んだときの 感覚に近い。きっと梅田話も構造構成的に説明できそうだし、最近読んだ いじめ学の内藤朝雄さんの理論は、確実に構造構成主義だとちょっと読んだだけで分かった。

これからしばらくは構造構成主義的な視点で現象を見ることを心がけていく。この1年くらい 拠って立つ理路がなくて、実に不安定な状態を続けてきたが、ついに見つけられた、 そんな感じの今日この頃だ。