コンピュータ・Webの「HAPTIC」と「SENSEWARE」

昨日は授業で,デザイナの原研哉さんの講義を聞きました.原さんはかなり有名なデザイナで 無印良品とか,松屋銀座のリニューアルを担当されたそうです.まぁこれのなにがすごいのかは 良く分かりませんが,話を聞いて,この人は自分の言葉で語れる人だなと分かって,すごい人だという ことが分かりました.

講義の中では「HAPTIC」と「SENSEWARE」という二つの単語をテーマに説明されました.よく読むと 下のサイトとかに書いてある内容とかぶる部分が多かったので,興味のある方はこちらをどうぞ.

「HAPTIC」は五感がよだれを垂らすもの

「HAPTIC」というのは「皮膜としての感覚を刺激するもの」とのことでした.原さんは,人間の感覚は 「皮膜」の様なものだと言います.それは,五感と呼ばれるように区切って考えるものではなく, 目も耳も鼻も舌もすべて皮膚と同じく体の表面に膜の様にして存在するのであって, それらが一体となって,センシングしていると考えています.そして,HAPTICとは, その皮膜に対して刺激を与えるものであると言っています.

従って,視覚・聴覚だけが刺激の対象ではなく,主に今まであまり考えられてこなかった,触覚を中心に 刺激していくデザインをしていこうという考えのようです.なるほど,言われてみれば,どうして プロダクツは「プラスチックなどの硬い表面」である必要があるのでしょうか.それは単に今までの技術的 効率的な制約からそうなっていただけであって,もうそれにこだわる必要はないのではないかと思います.

しかし原さんは,そこで「ノスタルジックに浸ってはいけない」と言います.HAPTICなものがいいと言って, 「やっぱり木の感触がいいよね」とか「やっぱり土だよね」とか,そういう昔の感覚に戻ることはもはや できないと言っています.現代の日本人は,もう井戸を掘って水が出てくる感動も知らないし, 木のぬくもりも昔の様に知ることはできていないのであって,その感覚はもはや存在しないのです. だから,HAPTICであることは,近代科学技術の効率性を意識したインタフェースから,それ以前の 自然に近いインタフェースに戻ることを意味しているのではないと思います.

「SENSEWARE」とは創造力の増進装置

すなわち,HAPTICであるためには,現代の我々の感性を土台にして,さらに新しい創造的な 刺激が必要なのです.そこで原さんは「SENSEWARE」という言葉を出します.これは, 「人間の創造力を増進するような媒質」という意味だそうです.きっと,SENSEWAREであることは HAPTICであるための必要条件でもあると僕は思います.

SENSEWAREなものの例として,「石器時代の石」や「紙」を挙げます.石器時代の人類は, 二足歩行により自由になった両の手で落ちている石を手にし,その手の感触,視覚的印象から この石に対して「これを使って何かやってやろう」という感情をドライブされたのだと考えられます. つまり,石のアフォーダンスということでしょう.現代人は石を見てもSENSEWAREを感じないでしょうが, 石器時代の人は確実に石に対して「創造性の刺激」を感じたはずです.だからこそ,石器時代が生まれた. また,紙も同じで,その張りや白さは創造性を刺激します.特に白さというものは,そこに何かを書け/描けば, もう取り返しがつかないというプレッシャーを与えます.そのプレッシャーによって,逆に人は 創造性を刺激される.そういう感覚は,現代人が紙を見ても抱くものではないでしょうか.

「SENSEWARE」で「HAPTIC」なコンピュータ・Web

さて,ここまでが原さんが講義で話していたことに僕なりの注釈を加えたものでした.ここから, これを僕なりに広げていきます.

SENSEWAREと聞いて,僕はまっさきに「Web・コンピュータ」というものを思い浮かべました. デジタル時代に生きる僕たちにとって,これほど創造性を刺激されたものはないのではないかと 思います.情報という観点でみれば,情報を生み出す媒質なんですね.

無色透明な箱が越えた時空

Webやコンピュータがなぜ創造性を刺激するのか.それはコンピュータというものが「無色透明な箱」だからでしょう. これは確か坂村先生の本に書いてあったことだと思います.無色透明な箱であるコンピュータを前に, 人間は圧倒的な創造性を刺激されました.無色透明であるということは,どのようにも使うことができる. これはある意味で究極の素材ではないでしょうか.しかし,最初から究極過ぎたが故に,様々な混乱を引き起こしてきました. しかし,コンピュータは進化を遂げ,ただの無色透明な箱から,使える無色透明な箱へと変わりました. その過程で,ネットワークというものが大きく貢献しています.

コンピュータがもしも1台のスタンドアローンでしか存在しなかったら,今のゾクゾク感は存在しえません. デジタル情報というものは,「複製」されてこそ,その価値を発揮するものです.たった1台のコンピュータの 中に情報が存在しても,それはアナログと大差ありません.しかし,コンピュータ2台が接続されるだけで 異常な現象が起こります.それは,情報がアナログ世界を超越し始めるのです.具体的には 「時空」をとび越え始めます.その昔,ネットワークのなかった時代,人間は生まれた土地から離れることは 難しく,生まれた時代から他の時代へと影響を受けたり与えたりするのは難しい行為でした. どちらも時の権力者や知識人,資産を持った人には可能でしたが,普通の人以下には不可能な ことでした.なぜならば,そこにはチープ革命が存在しなかった,もしくはその速度が遅すぎた.

しかし,デジタルなネットワークにシフトしていくことで,このように時空を超えることが簡単になった. それは,デジタルは究極的に要素還元がなされている,つまり離散値ですべてを表現してしまっているので 要素である離散値の伝達方法と記録方法さえ確立すれば,その上でどんな情報でも 流すことができるからです.これがアナログの時代には,流すモノによってそのインフラは変化せざるを 得ない.たとえば,水道管がひいてあるからといって,そこにガスが来るというわけではありませんね. でも,インターネットではIP網さえ来ていればあらゆるデジタル情報を流すことが,原理的に可能です.

1台でも時間を超えることは可能だし,たった2台の接続でも空間を超えることは簡単です.しかし, これが現在のインターネットの様に大量のコンピュータが網の目状に接続することで,それは 爆発的に推進されました.時空を超えられる可能性を目の前にして,ゾクゾクしない人がいるでしょうか? Webやコンピュータを見て感じるゾクゾク感はまさに「SENSEWARE」と表現できるでしょう.

「HAPTIC」なデバイスとしての携帯電話

ではWebやコンピュータはHAPTICなのでしょうか.ここはまだまだ改良の余地があると考えます. たとえば,デスクトップPCは机から離れることはできません.これは感覚を鈍らせることになります. 人間は動いてなんぼ.ラップトップならまだ移動は可能ですが,利用するとなると,結局椅子に 縛られます.つまり,ディスプレイ+キーボードというPCでは,皮膜の刺激が非常に限定的になります.

そこで,前回書いたように,モバイルデバイスの可能性が開けてきます.携帯電話は,歩きながらでも 画面を見れて入力もできる.音声も扱えるしカメラで視覚も使える.実は携帯電話は「HAPTIC」な デバイスであると言うことができると思います.だからこそ,ここまで浸透した.

もちろん,PCのインタフェースも重要で,それは情報へのHAPTIC具合でしょう.情報の感覚器は 先の感覚の皮膜ではありません.そこから受け取った物理的刺激から,もう一段分の皮膜(情報感覚皮膜)を 通じて初めて感じることができる.この情報感覚皮膜に対してPCはHAPTICです.携帯電話では 受け取れる情報は端末の能力・性能という制限により,現状ではまだ不十分です.PCの性能をフルで 使うことで,情報へのアクセスや情報の創造性は格段に上がります.

本というメディアの刺激力

こういう二重皮膜を考えていくと,本というメディアの素晴らしさが分かってきますね.ページをめくる感覚, 重さ,残りページの視覚情報などなど,感覚の皮膜をHAPTICに刺激する上に,そこに書かれた 文字などは情報感覚皮膜を激しく刺激します.この二重のHAPTICさを再現できるデバイスが 登場しない限り,本というメディアは消えないと僕は確信しています.

ということで,HAPTICとSENSEWAREというキーワードに刺激されて,僕の愛するコンピュータや ネットワークを分析してみました.僕の問題点は,こうやって分析はするくせに全然創造性を 発揮しないところなんだよね.自分が嫌いになりそうだよ.