少しつず歩めばいいんだと思う、どこへ行くかは分からなくても

結局、自分は、自分に力がなくて、他の人にやってほしいと思ってる割に、人に相談したりしゃべったりできないという アンビバレンツに生れてこの方ずっと悩み続けてる。 大学 3 年までは、それでも見えてる世界も狭くて自分ですべて やれてるからいいやって思ってた。受験も自力で余裕だったし、柔道とも両立してたし。大学の勉強も優を取るのなんか 正直クソ簡単。

でも、計算量爆発じゃないけど、どこかで頭打ちすることは薄々分かってた。柔道は先に限界を見たけど、 勉強”も”やってるからってことで納得はしてた。それが、大学 4 年になって勉強の方もとても一人では無理だと 気付いた瞬間、すべてがぶっ壊れて、思考が停止した。 大体、こういうことをその時誰とも話してなくて、 自分の中だけで勝手に爆発して死んじゃったという時点で、もうなんか終わってる。

ただ、そのタイミングで今までの自分には無いくらいに”他人”を知った。みんなに比べればはるかに小さい 規模だけど、それでも自分の中では 1nm が 1mm になったくらい大きな変化。 でも僕はスタートダッシュとか 全然ムリだから、”他人”とやっと話せてくるのに 2 年位かかった。 結果やっぱり 4 年の時に感じた、自分がどれだけ 小さい存在だったかの認識は間違ってなかったけど、僕は自分を変えられるほどの度量はないことも再確認した。

時代の流れに合わせて自分を変えることなんてできるのかどうか甚だ疑問。むしろ、時代のここを変えなきゃ あかんやろって部分が分かってるから、それに関係ない時代の変化なんて、僕にとっては変化にすら見えない。 だけど、その分かってる部分の変化がもし起こってしまったとき、自分が次のステップに進めるのかすごい疑問。 例えば、動画共有とか昔から早くできればいいのにと思ってたけど、ニコニコ動画ができた当初は全然その価値を 視認できてなかった。

自分が思っている程度のことなんて 60 億人も人間がいれば他にも思ってる人はいて、その人の方が優れた力を 持ってたらさっさとやられてしまうもの。 その時自分を変えられるのか。全然分からない。たとえば、インターネット なんか軽くしのぐ新しい何かが出てきたときに、僕はネットに執着してしまうかもしれない。

今日いろいろ話を聞いてて、それがとても怖くなった。

でも、結局そこは自分の感覚を信じるしかないんじゃないか。疑問に思って歩みを進めるなんてできない。 無理にそれをやったから、こうやって大学院で苦しんでる。ただ、ここで重要な点が、その感覚が変化するということ。 ちょっと前はブログなんか下らんと感覚的に思ってたし、Twitter なんて何が楽しいのか意味分からんと感覚で思ってた。 それが今はこうだ。

結局、感覚って呼んでるものも脳の神経細胞の活性パターンにすぎないとすれば、脳の可塑性により変化するのが 当然なのだ。だからつまるところ、「好きを貫け」という言葉は生き続ける。その時は荒唐無稽に思えるかもしれないけど、 好きなんだからしょうがない。

最近はこうやって一度ぐるっと回って元に戻ってくるという経験を、何度も繰り返している。それは 自分を確かめる作業。でも、一回転して戻った自分はねじが一回りしたときの様に、1 歩だけ前に進んでいる。回る方向を 間違えなければ、たとえ堂々めぐりでも少しずつ前に進める。

そうやってねじはどこへ進むのかはねじ自身知ることはできない。でも、一歩ずつゆっくりと前に進めればそれでいい。 今はまだ人と話すことはできないかも知れないけど、ちょっとずつ、ちょっとずつ、他人との付き合い方を覚えていければ いいのだと今は思いたい。

後記

以上は、Twitter でだーっと書いたもののコピーです。僕はたまにこうやって Twitter で連投しながら 考えています。それが何の役に立つのか?多分何の役にも立ちません。でも、僕はこうしないと生きていけない。 みんながおいしい食物を摂取したり、恋愛したり、セックスしたりするのと同じこと。これらは今の自分はそんなに 興味ないけど、みんなにとってはないと生きていけないこと。それとおんなじ構造ということです。

ちなみに、Twitter の投稿をまとめた Tumblr 投稿はこちら。

  • djmonta 08-10-10 (金) 23:23

    「どこへ行くかは分からなくても」っていうことに自分も最近気付きました。
    高校までは自分も余裕で良い成績を取ってたんだけど、大学に過剰に期待していたのもあって、どこに行くか分からなくなって、止まってしまった。具体的には大学に行かなくなって 5 年間ほとんど何もせず(部活とかやってたけど)、当然のように単位は取れなくてほんとに病んだりして。
    でもどうしてもこの止まってしまった場所に自分の人生の何かがあるような気がしてまだ大学にいます(在学 7 年目)。もう何もしてなかった間にいろいろ鈍っててダメダメなんですけども。
    まだ結論は出ないけど、ちょっとずつ積み上げていくっていうことがすごく大事だなと思ってます。
    とても共感。これからブログいろいろ読ませてもらいますね。中身が濃い文章が書けるってうらやましい。