画期的なことよりも十分に良さを発揮させることを

どうしてWindowsがここまで広く長く使われるのか?なぜ書籍は電子書籍に変わらないのか?

WindowsよりもMacの方が,さらにPlan 9の様な思想として全く理想的で,すばらしいOSが あるのに,世の中はすべてそちらに置き換わることがない.アナログな書籍は印刷のコストも 運搬のコストもかかるしどんどん物理的な空間を浸食してくるのに対し,Kindleをはじめとする 電子書籍はそれら問題点を完全に解決しているにも関わらず,未だに書籍は出版され続けるし, 僕も買い続けている.

ロータリーエンジンはどうした?NGNは?

なぜ「より良い」技術が「時代遅れの」技術を駆逐できないのか?

どうして,「革新的」で「理想的」な未来の技術が,「問題だらけ」で「時代遅れ」な技術を 完全に駆逐することができないのか.むしろ,そんな時代遅れの技術がいつの間にか 革新的な技術を追い抜いてしまうことがあるのはどうしてだろう.その一つの答えを,的確な言葉で 記しているのがこのエントリだと思う.

このPlan 9とUNIXの事例から、野心的なシステム設計者に対してレイモンド氏が引き出す教訓は「より良いソリューションに対する最も危険な敵というのは、十分に良い既存のコードベースなのだ(the most dangerous enemy of a better solution is an existing codebase that is just good enough.)」というものだ。

Linuxに勝てなかったPlan 9 − @IT

Twitterでたまたまこの記事を見かけてさらっと読んで,ちょっと脳みそ刺激されたので,ひさびさに 長文エントリ書きました.相変わらず所用時間1時間ちょいの一筆書きですが,よろしければどうぞ.

Plan 9というOSがUNIXを駆逐できなかった理由

僕は正直詳しくしらないが,この記事によると,かつて(と言っても2002年だが)Plan 9というOSが 構想された.UNIXという時代遅れの技術に対して,その開発チーム自らが「次世代のOSはこれだ!」という 気概を持って開発されたOS.それは確かにUNIXの問題点をみごとに解決し,画期的ですばらしい システムであった.

しかし,それはうまくいかなかった.なぜか.答えは単純.

「UNIXは十分に良く,Plan 9はそれを凌駕する程に十分に画期的ではなかった.」

キーワードは「十分に」ということだろう.人は「十分に良いもの」に対して,それよりも 「多少程度良いもの」にわざわざ乗り換えることはしない.もちろんこの評価は相対的なもので, 各人によって異なるであろうが,この原則が崩れることはあまりないのではないか.

そして,おもしろいことに,Plan 9が提案した機能は漸進的にUNIXが取り込んで行ってしまった. ここが重要なポイントで,つまりそれこそがUNIXが「十分に良かった」という証拠なのだ.

漸進的=マッシュアップ

結局,既存のスタンダード技術でなんとかなってしまう程度のことなんて実は「画期的」でもなんでもない. 確かにいきなり言われれば「すごいな」とか「夢のある話だ」と思えるかも知れないが, 一歩引いて考えてみると「でも,それって今ある『あれ』と『それ』を組み合わせればなんとかなるんじゃない?」 ってのは,特にここ最近になってよく聞く話ではないだろうか.

WEB系で大流行りの「マッシュアップ」という言葉がまさにそれだろう.あるサイトが展開するサービスを 他のサービスが拝借して新しいサービスを展開する,ということの連鎖,これこそがマッシュアップの真髄だ. たった一段階しか継承できなかったとすればそれには何の創造性も感じられないが,WEB系で言う マッシュアップにはすでに「無限の可能性」が「組み込まれて」いる.そういう仕組みになっているのだ.

でも,よく考えてみればこんな発想は別に新しいものでも何でも無いことに気づく.例えばWEBそのもの. OSIモデルに象徴される様に,ネットワークは階層に分割され,それぞれのレイヤを好きに入れ替えることも できるし,他のレイヤが勝手に発達することで,何もしていないのにその他のレイヤもおいしい思いができる. 特にそれは上位に行けばいくほど顕著になる.技術をレイヤに分割できたことで,他のレイヤの中身を知らずとも 自由にそれを使うことができる.この仕組みによって,WEBは今の地位を確保できたのではないか.

もっとよく見てみれば,コンピュータ自体だってマッシュアップで構成されている.今やPCのパーツをすべて 作っているメーカーなんて存在しない.すべてのPCメーカーは各社のパーツをより集めて,重要な部分だけ 自分たちで作り上げ,全部をくっつけてPCを売り出している.それはハードウェアもそうだしソフトウェアも そうだ.もはやこんなの僕が語るべきことでもないはずだ.もしいまだにこういう発想ができていないのであれば, コンピュータとかネットワークとかをもう一度勉強し直した方がいい,と,たとえ僕が似非情報系の人間であっても 言いいたくなるくらい,当たり前のことだ.

まだ続く.別にマッシュアップは情報技術に限ったことじゃない.レンタルビデオというビジネスは VHSが広まらなければあり得なかったけれども,別にVHSの詳細について何も知らなくてよい.逆もまた 然りで,技術者はVHSがそんな使われ方するなんて想定せずに作ったのではないか.でも結果的に VHSはレンタルビデオのお陰でおいしい思いをしたはずだ.

こんなの一例に過ぎない.もっと言えば「創造的な活動」とはその実は「マッシュアップ」に過ぎない. 出典を把握してはいないのだが,あのゲーテですら「すべては過去の遺産を刈り取るだけ」と言っていると 聞いたことがある.ミッキーマウスだってパクリに過ぎない.エヴァンゲリオンがどれだけの過去作品を オマージュしているか.昨今の映画界のリメイクブームだって程度は低いとはいえマッシュアップには違いない. ニコニコ動画で大流行りのMAD動画は創造的な活動じゃないと言う人がいるのだろうか?

一回きりの歴史には漸進的なやり方が基本

少し話が横道に逸れたけど,「全く新しいもの」なんてそもそもあり得ないし,大抵のことは既存のもので なんとかなってしまう.中国製品が低価格で攻勢をかけられるのも結局人海戦術が最強の手段ということを 示しているのではないか.人海戦術に勝つ,というか根本から変革するにはそれはもう100年,1000年に一つの 圧倒的なひらめきや発想が無いとダメなんじゃないか.

指導的な立場にたつ人間の多くは自分の発想を「これはすごいんじゃないか」「すばらしく画期的な 仕事になるはずだ」と思い込んで,対抗する古い既存の技術を簡単に捨てようとしてしまう. 一歩自分の生活に戻ってみればいつまでたっても電子マネーにすべてが置き換わらなかったり, インターネットでテレビが見られる様にならないのに,自分が取り組む分野ではそれが可能だと思いこみがちだ. 特に発言力があって権威ある立場にある人ほど,この傾向が顕著だ.

先に引用した記事にもある様に,比喩的な意味ですべては地層の様に降り積もっていくものだ. 今さら,「やっぱり資本主義はおかしい」と言った社会主義の末路はいかがなものだったか. 「デジタル情報の時代はペーパーレスになり地球にやさしい」と言っていた人達が一体どれだけの 紙を印刷して捨てているだろうか.

人類の歴史は「一回きり」なのだ.「やり直し」なんてできない.もちろん,西洋史観の様に 「新大陸を発見した」という意味での「一回きり」ではない.それぞれの地域にそれぞれの文化に. そしてそれぞれの人間にたった「一回」しか歴史は存在しない.いつかの時点に戻って「やり直す」ことは ゲームじゃないんだからできない.「人生はテレビゲームみたいにリセットできないんだ!」と. そう子ども達に教えていたんじゃなかったのか?少なくとも僕が子どもの頃はさかんに言われていたはずだ.

だがその実,それを声高に唱える彼らの多くが提唱するのは「やり直し」を促すかの様なやり方ではなかったか. 「抜本的な改革」なんてフレーズ,政治家の口から耳にタコができるほど聞いた気がするが, 抜本的に改革することなんてできたのだろうか.別に政治家に限ったことでもなく,大抵の人が 「新しく」始めることを,「新しい」ことを始めることだと勘違いしている.

マスコミにも漸進的という意味では価値がある

ある意味で,マスコミの様に新しいものに対して「批判的に」対処するのは正しい姿勢なのかもしれない. だが,彼らはもはや本質を見失って,やたらめったらに叩くことだけを楽しみにしているので, もはや僕の中で価値はゼロに等しかったが,今回の記事を読んで少しだけ意味があるなと思い直した.

多くの一般人も,別に今あるものをわざわざ全く新しいものに置き換えることに否定的だ. 少し前の僕は「それはなんて愚かなんだ」と思っていたが,僕の方も愚かだった.答えは両者の中間だ. 「漸進的に良くなっていけば」大抵のことはスムーズに進むし,そもそもそうせざるを得ない. 残念ながら「革新的な変化」をもたらせるのは一握りの天才にしかできないし,実はそれが 「革新的であったかどうか」はその変化が「漸進的に」良くなっていって徐々に影響を表してからしか 判断できない.自分の興味に引きつけていくが,インターネットの「すごさ」は21世紀になって やっと本格的に理解され始めた.情報のデジタル化が進んだことによって,反対にアナログな書籍の 「すごさ」がより明確になってきた.

結論:「十分な」良さを「十分に」発揮させる仕事をやりたいのかな

で,結論として何が言いたいわけでもないんだけど,こういう前提に立った上で,「勝利を確信」していきたいと 思った次第.物事はこういう方向に進む,というのはもはや人類という歴史の性格上,変えることのできない ものなんだと思う.もちろんこれを良しとしない人もいるだろうから,そういう人との戦いになるのだろうが, 僕はこの記事に書かれている内容に全面的に賛成したいので,そういう方向で進んで行きたいと思う. 一握りの天才以外にとって,いや本当はすべての人間にとって,創造的な行為とは漸進的な変化を「より」促進する ことに過ぎない.「十分によい」と思われるモノ・人の「十分さ」を如何に発揮させるか.それこそ多分 僕がやっていくべきことなんじゃないかと思う.プロデューシングとも繋がっていく様な気がする 論点だけど,長くなるので,今回はこの辺で.

あとがき

ひさびさに長文を書こうと思い立ったので,本当に書けるかどうか不安だったが,書き出せばさくさく 書けた.多少不遜にはなるけど.僕はこういうの書くのが向いてると思う.誰の,何の役に立つのかは しらないけど,少なくともこれを書いているとき僕は幸せだから,誰にも文句は言わせない.

というわけで,長々と読んで頂いてありがとうございます.感想などありましたら,コメントなりTwitterなり メールなりその他なんなりとどうぞ.また,元記事を書かれた@IT 西村賢氏には感謝いたします.