修士論文の代わりに退学願を提出してきた

退学って「お願い」するもんなんだと初めて知りました.というわけで,前々から 言っていた通りに,大学院に退学願を提出してきました.専攻ではすでに修士論文の提出も 発表も終わっているそうです.いつ行われたのかも知りません.とりあえず 4 月からはちゃんと就職して働きますのでご心配なく.日本はやさしい国ですね.

さて,ここで大学に対する恨みつらみを書いてもしょうがないので, これから(日本の一般的な)大学・大学院を目指すという方に対して, これは考えておいた方がいいんじゃないかということを書き連ねておきます. 大学に入って 6 年しか経っていないし,学会にも行ったことのない人間の 戯れ言ですので聞き流しておいて下さい.

**【さらに追記】**2 年ぶりになぜか注目されました

Twitter が一般にも浸透したんだなぁと勝手に感慨にふけっています。@su319 さんが Toggeter にまとめてくれたのでこちらも参考にして下さい。

**【追記】**参照エントリをまとめました

みんな TB 飛ばしてくれると助かるのですが,そうも行かないようなので, 人力で集めました.どうぞ.

学問する気のない奴は大学に来るな

大学というのは「学問」をするところで「勉強」をするところではないと僕は考えます. ちょっと前の僕みたいに,大学の講義を高校の授業の延長で捉えていると,確かに 点数や単位は取れるし,知識や技術も身に付きますが,それは「学問をしている」とは 言いません.

大学は専門学校ではなく,「学の府」です.自らが信ずる「ビジョン」に基づいて 世界に,歴史に,大きくても小さくてもいいので一石を投じることがミッションの はずです.僕の様な態度の学生は大学ではなく専門学校へ行くべきです. それは「優劣」という話ではなく,「適性」とか「好み」です.大学の方が 専門学校より「優れている」とか頭の中で思っている人は,それがいかに つまらないモノの見方かを自覚した方がいいです(現状の大学と専門学校がどうであれ).

すでに就職予備校と化している大学も多いようです.どこの大学とは言いませんが, 先日電車内の広告で「いい企業に就職して親孝行ができます!」とデカデカと 書いている大学がありました.本部がそういう姿勢ならばさっさと名前を 「大学」ではなく「就職専門学校」にすべきでしょう.また,内部が実質的には 就職予備校となっている大学も多いのではないでしょうか.もしもあなたが 「学問」をしたいのであれば,そういう所は選ぶべきではないでしょう.

大学院への進学は良く考えてから

それでも大学は「学問」してなくてもまだ許されます.それは 入学時の年齢は大抵の人が 18 歳であり,そんな時期に「ビジョン」を持っていて 本心から「やりたいこと」がある人なんてほとんどいないでしょう.18 歳はまだ 未成年です.通常,ガキにそんなことは分かりません.

しかし大学院は違います.大学院に進学するのは通常 22 歳.20 年も生きて来て 何もやりたいことが出てこない人間(=僕)の様な人間は,学の府へ 来るべきではありません.一旦外へ出て経験を積み,きちんとビジョンを 得た上で行くのであれば良いと思いますが,大学院は大学とは違います.

僕は大学の学科と同じ研究室の大学院へ進みましたが, そういう安易な選択肢を取るのは考えものです.理学部の様に「卒論は書かなくていいよ, 修士も含めて 3 年で研究だから」みたいな態度のところはいざ知らず, 僕のいた工学部の様に,4 年生で卒論を出させて一旦終了させるところでは, 無理して同じところに行く必要なんかありません(もちろん,その研究が 自分の「ビジョン」と合致していてなおかつ「学問」として必要なことで あれば,それは続けるべきでしょう).

むしろ続ける弊害の方が大きいです.大学院の大半も就職予備校です. 就職するためには規定の時期に修了せざるを得ないため,「やりたいことをやる」よりも 「やれることをやる」方が確実ですから,そういう道を取りがちです. 個人的には自分の能力・志向的に「やりたいこと」をやるにはまだ実力不足でした. だから就職するためには「やれることをやる」しか無かったです. しかし,卒業論文の時にすでに「やれることをやる」ことのむなしさを 知りました.それは「学問」ではありませんでした.

大学院に行くということは,就職のために行くのではないと考えます. そこには小さくても「学問」をするために行くのです.大学院によっては 授業は「出席」するだけで良いところもあります.授業なんかで時間を 取られるよりも,さっさと自分の研究室に戻って「やれることをやれ」という 姿勢なのでしょう.国立大学はすでに独立法人化しています. 利益を出さなければいけないですから,「やりたいことを探させる」時間を 中で持てるほど余裕もないのでしょう.いわんや私学をや.

従って,大学院に行くという選択肢は「やりたいこと」がある程度 明確な人が行くべきだし,そうでない人は仕事をして別の部分で社会還元でも しながら,じっくり探した方がいいでしょう.大学院でわざわざ お金を払って探すよりも,お金を稼ぎながらもっと貴重な体験をしながら 探した方がよっぽどお得です.22 歳の頭で考えれば普通分かるはずです.

僕は残念ながら分かりませんでした.というか気づいた時は学部 4 年の 終了間際でした.仕方ないので,すでに合格していた大学院にそのまま 進みました.もしかしたら僕はここで学問ができるのかも知れないという 一縷の望みはありましたが,数ヶ月で違うことが分かったので修了は その時点で諦めました.今の僕はここで修士号をもらうべき人間ではありませんでした.

新卒採用という悪魔

ただ残念ながら日本の多くの企業は「新卒採用」を重要視しています. 従って,大学を卒業「してしまう」とその権利を失ってしまいます. 日本の就職活動に置いて,もっとも強いのは「どこの大学か」なんかよりも 「新卒である」ということです.

従って,僕みたいに大学を卒業してしまった人間が新卒採用を受けるには 大学院に進まざるを得ません.こればっかりは個人の力ではどうしようもない. そういう割り切りで修了まで突っ走れるタフな人であれば,どうぞ何の 懸念もせずに大学院に進んで,就職予備校生活を謳歌して下さい.

僕の様に大学院を捉えている人にとって,そういう選択肢は非常に つらい精神的なダメージを負うのでできる限りやめた方が賢明です. どうすべきかと言えば,入る大学院,もっと言えば研究室,さらに言えば どの先生のもとでやるのかを「真剣に」考えてから大学院に入るべきです. そのためなら 1 年プー太郎でも良かったなと今は思っています. 学部 4 年が終わるあの時期は,1 年でも早く就職したいと思って焦ってしまいましたが, 1 年ふらふらしてきちんと自分と相手を見つめ直して,適切な選択ができていれば, 1 年後ではありましたが,このエントリのタイトルは「修士論文を提出してきました」に なっていたでしょう.

新卒採用にとって直前の 1 年プー太郎をしていたことは大きな大きな大きな大きな デメリットですが,大学院入試において直前の 1 年プー太郎していたことが なんのデメリットになろうか.その事実に気づくのが僕は遅かった.だから もし同じ様な境遇の人がいたらその助けになると思ってこのエントリを書いている意味も あります.

何度も言いますが,別に就職予備校でいいやというのであれば勝手にして下さい. そういうタフな人はまぁあまり考えずともなんとなく上手くいきます. 不器用な人は注意して下さい.焦って「死ぬ」必要はありません.僕が この 2 年間で何度「死にたい」とつぶやいたことか.その責任は外部にはないのです. 自分の「選択」が間違っていた,ただそれだけ.できるならばその「選択」の 前に一度熟考すべきですが,ミスしてしまったあとでも「選択が間違っていただけ」 ということに気づければ死ぬ必要はなくなります.道を降りることは可能です.

ここまで大学院の選択という話で書いてきた部分は本来的には「大学の選択」という 部分でも同じ話ができるはずですが,それをするのが 18 歳であることを考えれば ある程度許容されるかなという話です.できれば両親などごく近しい大人は 適切なアドバイスをして 18 歳の迷いそうな子羊をうまく先導してあげると良いでしょう.

捉え方は人それぞれ

結局,「大学」や「大学院」の捉え方によって様々にとるべき行動は変わるのでしょう. 「学問」をしたい人にとって「就職予備校」として来ている連中は今すぐ殺害したい 対象かもしれませんが,所詮認識の違いなので早まった真似はしないようにしましょう. また,捉え方は学部や専攻によっても大きく変化します.医学部などのように 半分専門学校・就職予備校の様な学部では,当然ながら学問することよりも まずは必要な知識・技術を身につけることが要請されます.こういう違いを捉えずに, 誤った学部の選択をしてしまうと,同じ「大学」に行ったはずなのに大きな ショックを受けることもあるでしょう.

大学に行く際は,自分が「学問をしたい」のか,それとも「就職予備校・専門学校に 行きたい」のか,きちんと把握してから行った方が,後々幸せです. 一旦「就職予備校」としての大学を出て就職して成長してから「学問をするために」 大学に入ってもいいと思います(逆はあるのかな?).ただ,日本の場合 学士入学がやたら多いですが,大学出てるのであれば大学院に行った方が いいと思います.アメリカの場合,学部の専門と全く違うところに行く場合でも Second Bachelor(第 2 学士)よりも大学院に入るのが普通と言う話を聞きました. まぁただ日本の大学院がアメリカと同じではないのであれですが….

単位卒業と論文卒業

最後に,少しだけ大学に対する文句を書かせて下さい.繰り返しになりますが, 「僕」は,「大学・大学院」とは「学の府」だと思っています.従って就職予備校の 意識で入る人間はあまり好きではありません.ただ,現状で大学が就職予備校を やっているので,まぁしょうがないかという風に考えることはできるようになって きました.

ただ,それだったら「就職予備校としての卒業」と「学の府としての卒業」は 分けるべきじゃないかと思ってます.具体的には,「単位卒業」と「論文卒業」を どの学部学科にも作る方がいろいろ都合がいいんじゃないかと思います.

単位卒業がないから,僕のいたところみたいに大学院に行っても授業は 出席だけで済んでしまう様に,授業の価値が下がります.だって,結局 論文がほぼ全てなんだから.就職予備校の気分なのに,出席するだけの授業なんて なんの為に学費払ってるのか分からないし.わけのわからない論文を書かされるのも 苦痛です.

逆に,学の府として卒業したい人にとって,論文が書けないなんてあり得ないので 論文が卒業に必須なのは当たり前です.文章が書けない人間は残念ながら「学」に 残ることはできないのですから.その人にとっても出席だけで終わる様な 授業はそりゃ出る意味がありません.

だから,卒業に必要な単位数は学生で一律にしつつ,卒業論文は「必修」から 外せばよいのです.卒業論文は現状でもかなり大きな単位数(10 単位とか)を 持っているので,それを取るならば授業での単位は必要最低限取得すればいいし, 逆に卒業論文を取らない人にとっては,授業を必死で受けないと卒業できない ことになります.

就職活動を考えた時にも,企業の側もその人間が「学の府」として卒業したいのか それとも「就職予備校」として卒業したいのかがはっきり分かってメリットが 大きいと思います.社会的にも同じですね.「○○ 大学を卒業しました」だけじゃなくて 「○○ 大学を論文卒業しました」と「○○ 大学を単位卒業しました」では違う意味を 持ってくると思います.もちろん,当然ですが「優劣」ではありません.ここに 優劣を持ち込む様な人間は,しょうもない人間でしょう.

まぁこれは一つの案で,もしこうなっていたら幸せだったのになと思っただけの, ただの自己中に過ぎません.

おわりに

最後に,僕は所属していた専攻や研究室に感謝しています.日本的お優しい環境なので 学部 4 年の時から全くと言っていい程研究室に行かない人間をここまで籍を置いて くれていたことは感謝しています.ただ,その優しさが人を傷つけることがあるという ことも少しは自覚した方がいいのかも知れません.専攻や研究室自身も,自分たちが 「学の府」なのか「就職予備校」なのかをはっきりと示して,そぐわない学生を 取らない様にすべきじゃないでしょうか.客観的には卒業生の進路を見れば 大体わかるとは思いますが,なかなか外部の人には分からないものです.

今でも僕は「日本の大学」に行くべき人間ではなかったと思っていますが, まぁ行っちゃったものはしょうがないし,いろいろ楽しい経験もできました. ジョブズじゃないですが,後から振り返ればいろいろ繋がっていくのではないかと 思っています.

これまで人生でいろんな場面で「タイミングが遅かった」ということが多々ありました. 気づくのが遅かった,やってくるのが遅かったなどなど.今では,僕は 「そういう星のもと」に生まれたのかなと思う様にしています.それも一興. なにくそ,あとからなんとでもなるもんだし,タイミングがいいことばかりの 人には分からないことが分かるもんです.

ただ,80 年しか時間がない以上,あまり無駄な時間は過ごしたくないものです. そこだけはタイミングがいい人はうらやましいなと思いますが,無い物ねだりは 何も生み出さないので,努力することを心がけるようにしましょう.

ということで,さようなら東京大学.就職予備校としてはもうあまり関わることも ないでしょう.学の府としてならまだ関わることがあるかも知れません.

  • 774 09-02-28 (土) 0:24

    私が学生の頃の話ですけど。
    ちなみに私は修士。
    私がお世話になっていた研究室(理工系です)で、
    東大の大学院へ行った後輩がいたのですが、
    当時博士課程にいた(世間を良く知る)先輩が、
    「東大の大学院なんか行くもんじゃないのに」って言ってました。
    東大の大学院には何か特別なものがあるのではないでしょうか。

    自分の修士過程の頃を思い出すと、
    「学の府」と「就職予備校」のあいだというのがあって、
    良い研究テーマにめぐり合えればそれはものすごくラッキーであって、
    そうでなかった(実際にほとんどの場合がそうでないのだが)としても、
    課題を設定する訓練をしたり、
    課題解決のための論理的なアプローチの仕方が身につけばそれで良し、
    って感じでしたが。

    このエントリを読んだ人が、
    「大学院ってこういうもんなんだ」って思っちゃったら、
    なんかなあ。

  • 774 09-02-28 (土) 0:28

    774 は東大生ではないです、念のため。

  • 774 09-02-28 (土) 0:45

    「人生の時間は限られている。すべてを見ようとするのは、何も見ないのと同じだ。」

  • ttt 09-02-28 (土) 1:13

    たかが修士課程でこれでは、、、
    レベルがあっていなかったということですね。

    一般論ではないです。

  • 名無し 09-02-28 (土) 1:37

    自分の研究テーマを閉じれなかったことに大して何らかの理由をつけて逃げたかっただけじゃない?
    あなたの人生、これからずーっと全部の物事が閉じずに終わっちゃうよ
    器用貧乏であれこれ手をつけては行き詰ると回れ右を繰り返しちゃう

    苦しんだならあと 1 歩ふんばれば結論が出ただろうに
    心を入れ換えないと新しく入った会社も 3 年も持たないだろうね

    がんばれよ

  • Yuu Arimura 09-02-28 (土) 5:38

    ↑ きみはまた、なんで相手の事情をろくに知りもせずそんなふうに決断を貶められるのやら。
    別に、いったん公開した記事にどんなコメントをつけようと勝手だけども、相手の気分を害するだけの「一般論」なぞ糞の役にも立たんね。

    閑話休題。
    ぼくは文学部の西洋史専修にいたんだけれども、ここは歴史文化学科に属していて、卒業には卒論が必須なんだね。
    そんで、「学の府としての卒業」が前提とされてるんで、たとえ就職組であってもヌルい卒論は許されない。東洋史などはかつて、就職内定していた学生を卒論で落とすことが当たり前に行われていた(というか半分くらいは卒業できずに留年していたらしい)。最近はどうだか知らんけど。

    まあ文学部の場合言語文化学科なんかは単位卒が可能なんで、さっさと学部をやり過ごして就職したい連中は国文学へ進むという手もあったんだけど、制度として単位卒・論文卒を全学単位で整備してしまうというのは面白いかもしれん、と昔を思い出して考えたのだった。
    あと、理学部・工学部の場合、とりあえず修士までは行くというのがぼくの周囲では常態化していた。あれもどうなんだろうとは在学中から思ってたね。

  • Yuu Arimura 09-02-28 (土) 5:53

    ネガコメもいくつかついているにゃあ。ぼくからは”Life Goes On.”という言葉を贈りたい。「人生いたるところに青山あり」でもいいけど。
    「ここは学問をするところだったのか!」と学部 3 年でようやく気づいた途端本郷から足が遠のき、そのまま社会からもドロップアウトしてしまったぼくもごらんの有村様ながらどうにかこうにか生き延びていることを思えば、論文出して卒業するか退学して就職するかなんてのは、長いスパンでは些細な問題なのだろう、きっと。
    昨年、4 年ぶりに本郷キャンパスに足を踏み入れることができた。ようやく吹っ切れた、という感じ。そうなってよかったと思っている。

  • riywo 09-02-28 (土) 6:42

    >有村さん

    どうもです.

    長いスパンでは些細な問題なのだろう、きっと。

    と思います.なのでまぁ何言われても別に気にはなりません.
    Life Goes On. 胸に刻んでおきます.

  • ヨキ 09-02-28 (土) 7:21

    とうとうやりましたか。
    どうなったか、気になっていました。

    僕も一時は退学を指導教員に口にして、受理されるところまで行ったので、思うところあります。

    大学院の授業の形骸化については全く同感です。
    論文も形骸化してますね。ページ数が足りていて、形式が整っていれば単位が取れます。
    志を持って入学しましたが、結局就職予備校だったなと思います。

    僕を説得した色んな人がいうには、経歴にブランクを作らないこと、肩書きを持っておくことには、現代社会においてはそれなりの意味を持つとのことでした。

    とはいえ、riywo さんは優れたエンジニアになるだろうと感じていますし、それはこれから次第だと思います。

    4 月からともに頑張りましょう。

  • akihito 09-02-28 (土) 14:13

    通りすがりのものです。

    すごい決断をしましたね。東大を中退するっていうのは、なかなかできるもんではないですよね。

    ただ、僕は大学がとても好きな人間なので、「大学ってこういう側面もあるんじゃね?」って主旨のエントリを書いてみました。riywo さんがどう思われるか、ご意見いただければ幸いです。

    「いいから大学行っとけって!」
    http://akihito.s354.xrea.com/blog/?p=305&preview=true

    がんばってください。陰ながら応援しております。

  • akihito 09-02-28 (土) 14:37

    ごめんなさい。なんだか、うまくコメントがつかないです。。。
    もう一度、ポストしてみます。。

    「逃げている」というコメントもありますが、仮に「逃げ」でもいいんじゃないかと思うのですが。

    逃げるとどういうことが起きるのか、逃げたことがある人にしかわからないと思いますから。

    自分の行き先を決断することは、レールの上を走る電車に乗って、電車の進む方向にただ流れていく人には絶対にわからないことを得ることができると思います。

    僕は「特にやりたいことなければ、とりあえず大学いっとけ!」っていう考えです。エントリにも書きました。riywo さんのご意見いただけたら嬉しいです。

    がんばってください!波風立てないことを信条にしている大人なんて、つまんないっすよ。

  • とおりすがりの修士 09-02-28 (土) 20:52

    修士論文に固執して新卒採用全落ちなへたれですが、あなたの判断は正しいと思うし、あなたの分析もおおむね同意。でも、とてもかなしい。学問志すなら高校から海外に行くべきとせがれができれば指導するつもり。あとは金だなぁ。

  • 白のカピバラ 09-02-28 (土) 23:17

    あなたと同じ東京大学大学院修士二年の学生です。私は理学系ですが。

    私は結局修士論文を出してしまいましたが、論文が完成したあたりで退学願をだすか真剣に考えました。だいぶ事情は違うのかもしれませんが、極めて共感しました。

    ただの共感表明であることをお許しください。

  • すけ 09-03-01 (日) 11:50

    僕も同じく東京大学修士 2 年で 4 月から就職します。

    主張におおむね賛成です。
    研究者にならないなら修士に行くより働いた方が伸びます。
    大学院で学んだのは、「嫌なこともやってると価値が出る」「自助の精神が無いと終わり」ということです。高校までの受験マシーン養成教育の中で育った本質的に不真面目な人間は、一度失敗してこれらを学ばなければ成長しないのが東大だと思います。

    現状では僕やあなたはのような、大学のせい、環境のせいにする学生が損をします。システムとして嫌な事もせざるを得ない大学になるべきでしょう。もちろん悪いことをした人は罰せられるべきです。しかし、そうした不幸を防ぐのがシステムの役目です。システムを変えるのは大変ですが努力しましょう。意外と僕らの想像力は貧弱で、思うより大きなことが出来ると信じてます。即座に出来るのはあなたのようにキレイゴトでない、切実な知見を発信することです。

  • 通りすがりの修士卒直後 09-05-01 (金) 16:34

    学問をするだけが大学の全てではないものと考えます。
    学問をするだけでしたら参考書を購入すれば済む。
    なぜ大学に行く必要があるのでしょうか。
    そこに人が居て、人との繋がりがあるからこそ、大学と言うシステムが未だ廃れず在るのではないでしょうか。
    私は自らのモラトリアムを、研究に注力しなかった大学院までを含めたモラトリアムを、そしてその中で学んだ様々な事柄を誇りに思います。
    どんな些細なことにも、どんなに無駄に見えることにも、学べるものはきっとあるものと思っています。
    どうか貴殿が無駄だったと切り捨てた時間の中に埋もれた、小さな輝きをいつか見出されることを、お祈り致します。

  • JEX 09-10-15 (木) 16:51

    がんばって、という言葉は人を死や欝に追いやる
    とどめの一言になりかねないのでご注意を。

  • Youcan 10-01-03 (日) 2:35

    私は京大でしたが、昨年春、修士論文を出して卒業しました。
    その後、就職活動中です。

    頑張りマックスw

  • JottScintille 10-07-19 (月) 0:41

    このコメントを読んでいただいているかどうかわかりませんが、私はこれを読んでいて、Albert Camus の The Myth of Sisyphus という本を思い出しました。ひょっとするとご存知かもしれませんね。もしそうでない場合はぜひ読んでみてください。

  • rekeru 10-09-11 (土) 23:33

    逃げるな!初志貫徹こそ大切、それとも大学院へは自分自身で席を置くための経済的基盤がなかったから諦めざるを得なかったのかな! M.A.

  • SHUSHI 10-12-22 (水) 1:56

    このブログを読んでひしひしと大学や大学院という場所『学問』をする場所だと感じます。私も文系の修士課程に属しており、今現在書きたくもない修士論文を執筆しております。
    学部のときに就職活動がうまくいかなかったため、ビジョンを明確に立てることなく今の大学院に進びました。大学院在学中に就職活動を行い来年から仕事をすることになりましたが、やはり大学院は仮で就職のための猶予期間と考えていた結果、就職活動を終えた途端やる気がなくなりました。もともとやる気なんてなかったのですが。

    ただ、僕は一度決めたことだから辛いですが最後までなんとかふんばって大学院を修了しようと思います。途中であきらめるのも一つの道だと思いますが、僕は自分から進んで始めたことにけじめを付けるつもりです。

    私はこの経験から長期的なビジョンを持って将来を決めることが必要です。短期的で突発的な考えで進む道を決めてはいけないです。将来何をしたいのかがわからなければ、何をしたくないのかを考え、それを消していくのも一つの手です。

    今から大学に入学する人、大学院に入る人たちへ。自分のビジョンを明確にしてください。突発的な考えでは窮地に陥る可能性が非常に高いと思います。

  • lily 11-01-14 (金) 16:30

    大学名を伏せるべきでしたね。
    あなたは自身がその大学にいたこと、あるいはその大学に誇りなど。。。と捉えてしまいます。
    本当に東京大学の卒業生なのですか?
    非常に幼稚な文章です。
    自身が決めたことだと言っておきながら、まわりが悪いと言っていますね。
    自身が退学したことを正当化しようということの他に伝わってくるものがありませんでした。

  • wilson 11-01-20 (木) 11:01

    ↑ 上の人のはただの「やっかみ」にすぎない。
    東京大学だろうが,何大学だろうが,筆者が修士課程を通過してきて,いろいろなものと葛藤し,そういう結論を出したという話は十分に伝わるものがあると思いますが。「学問の府,研究機関としての大学」「就職につながる教育機関としての大学」の,相反しかねない矛盾を大学は抱えており,その中で葛藤したからこその文章だと思います。
    自分の感覚に合わない文章に出会ったからと言って,その人のアイデンティティから価値観からを真っ向から否定する。それこそ幼稚だと思います。
    (東大ではなないですが)通りすがりの一大学教員として,筆者のこれからを応援&期待します。研究で戻りたくなったら,いつか,戻ってくればいいのです。それが研究&教育の機関ですから。

  • hibit 11-02-06 (日) 19:46

    僕の苦しんでいたことが的確に表現されていました。
    なんで論文を書かないと卒業できないのか
    なぜドロップアウトすると就職できないのか
    なんで 3 年の時に就職活動しなかったのか
    何度も何度も何度も苦しんだ末に「どこにも逃げ場がない」と考えて更に苦しむだけでした
    誰のせいでもなく、自分の選択が間違っただけ、ということが冷静にわかると、更に辛いですね

    今は修士一年で、修論をまともに書ける気もしませんが、自分をだましだまし就職活動している感じです
    「まあ就職か論文がダメだったら退学して公務員に絞るかな~」と言い聞かせて就活してますが、時々辛くなりますね
    どこにも言い訳しようがないのですが

  • Chopin 11-02-06 (日) 21:41

    せっかくお入りになったのに途中で退学願をおだしになるなんて。社会にお出になれば判断を間違ってそれでも最後までやらざるを得ないことも沢山あります。どのような理由であれその退学をなさったということは一生あなたに付いて回ります。高卒、大卒、大学院卒それぞれ社会での迎え入れ方も違うでしょうけれど、途中で投げ出す人に思われるのお嫌でしょう。

  • unknown 11-02-06 (日) 22:10

    今年修士を取得して博士課程に進むものです。
    最近は理工系であれば修士は当たり前って風潮になってますからね・・・
    結構大学院を就職予備校のように捉えている学生も自分の周りには多いですが、
    大学院は「研究」する所なので、その研究成果を論文に纏めて提出することは当たり前だと自分は思ってます。
    頭の固い先生によっては修士ですら成果がなければ卒業させないところもあるくらいです。アメリカ等海外の大学院であれば、特にこの傾向は顕著です。
    このコメントを読まれた方で、大学院に入学予定、もしくは修士課程在学の方がいましたら、たかが修士とはいえ、大学院は「研究」する場所であることを改めて認識して頂きたいと思っています。

  • kanon 11-02-06 (日) 22:43

    旧帝大で博士(理学)の学位を取ったものです。
    博士論文で、研究テーマの背後の歴史的経緯や周辺のアプローチ等との比較や評価を加えた 200 頁余の論文を作って指導教官に指導を仰いだところ、「審査して下さる先生方もお忙しいのに、誰がこんなもん読むんだ。自分のやったことだけ、それが学位に見合うことがわかりやすく、まとめてあればいい」といわれました。博士って、学問を究めたことを認めてもらうことだと思ったので、正直、大学というものに失望しました。修士に限らず、博士も、ポスドクもみんな期間内にできることしかしてないし、たぶん PI も研究費の評価の範囲内で食いつなぐことが優先なのではないでしょうか。

  • unknown 11-02-06 (日) 23:12

    すごく参考になりました。

    大学は専門学校ではなく,「学の府」です.
    その通りだと思います。僕は高校時代のアルバイトを通して、大学に行かなくても十分
    自分の食い扶持を稼ぐくらいは出来るなあ、と感じ、同時に高校で物理学の面白さに
    気づきました。俺は学問で食べていく、と自分で「決断」しました。
    大学に入って、家庭教師で高校 3 年生を一年教えました。3 年生に成り立ての頃の教え子は
    宿題はやらない、やらないのをバレバレの嘘で言い訳をする、とまあ一言で言うとダメ人間でした。
    最初は仕事だから、と宥め賺していましたが、教え子はお金持ちの家に生まれ、自分で
    お金を稼いだこともなく、勉強はしない、個人的な憤怒から「そんなに勉強したくないなら
    フリーターでも専門学校にでもいけばいいやん。誰のために勉強してんねん、お前が勉強して
    得する奴なんてお前以外おれへんねん」みたいなことを怒鳴ったと思います。
    その後親御さんにはずいぶんと嫌な顔をされました。怒鳴ったことでは無く専門学校や就職
    という選択肢を与えたことについてです。
    この社会の中では、理屈がどうあれ、国公立>私大>専門学校>就職、と誰もが考え、
    出来ることなら国公立に、せめて私大に、と親や教師が考えている、ということです。
    職業に貴賎なし、と言いますが事実は給与という一次元上に全ての大人が配列させられる、
    という事実についてみんなに考えて貰いたいなあ、と思っています。
    ちなみにこういうことをリアルで言うと「ひねくれている」「めんどくさい」という評価を頂きます。
    ただ国の金、親の金を使って「勉強させてもらっている」という感覚が現代の大学生や高校生に
    欠落しているのでは、ということです。

  • F 11-02-06 (日) 23:41

    受験生として非常に参考になりました。現時点では研究したくてうずうずしているのですが、いざ大学に入ってみれば自分の心境がどのように変化するか分かりませんし、このような実情を知ることが出来きて良かったです。
    東大というフレーズに条件反射的にネガティブなコメントをしているのであろうという方もいますが、僕としては、じっくり考えた上での決断なんだろうと思いますし、ご健勝お祈りします。

  • araiguma 11-02-06 (日) 23:45

    通りすがりです。
    とても感銘を受けました。私は、大学時代に何故つまらない時間を費やしてしまったのか、(当時は楽しかったのですが、学問的にという意味で)そして 10 年たった今、何故こんなに大学に行きたいと思っているのかがなんとなくわかったような気がします。
    あなたの文章を読んで、かえって大学院に、
    それも学士とは違う学部へ行きたくなりました。
    勝手な想像ですが、意外と数年どこかで働いた後に、あなたのような方はまた(やり直すという意味ではなく)大学院にいたりするのかもしれませんね。
    なんとなくそう思いました。
    いい文章、読ませていただきました。

  • uta 11-02-06 (日) 23:56

    ほぼ同様の立場です。個人的には大学生活は満喫してしまったんですが。

    工学系修士まで進んで普通の企業に就職しました。
    まずひとつ思うのはベタな話で恐縮ですが案外研究の経験は貴重であること。
    企業の研修とか OJT ってのは最適化され過ぎてて新規の思考に向いてないのです。
    まぁそういう思考訓練の意味では就職専門校として価値が実はあります。

    とはいえ私も当初は学問を志しておりましたし、就職に関しては修士の 1 年半ばにして思いたちました。私はこの自分が研究を、学問をやっていけるのか判断する前に就職と学問の選択があるのが間違いなのではないかなと思っています。最初から就職を目指す方々はともかくドロップアウトのしにくさが意味のない大学院生を生み出しているのではないかと。
    実際就職決まったら論文に対するモチベーションの管理はすごく苦労しましたし、それが普通だと思います。だって役に立たなく見えますもの(前述のように実際は非常に役に立ちますが)。

  • ロスジェネ 11-02-07 (月) 0:37

    同意。大学は学問をするところだと私も思います。
    就職や進学は自分で責任を持って熟慮して決めるべきだと思っています。

  • hoya 11-02-07 (月) 2:02

    大学・大学院での就職活動をいっそのこと禁止にしてくれたらいいのに、と思います。
    私の大学院では就職活動に失敗して転がり込んだような方ばかりです。
    教員は学生のこと考えると受け入れざるをえなく、修士では就職活動を失敗させないようにとお考えみたいで、まさに就職予備校という感じです。
    研究は、期間内に卒業、修了出来る様に「やれること」をやり、審査なんて形式だけです。
    就職活動を禁じ、就職活動は卒業後、働きながら個人が勝手に行うようになれば、就職活動に失敗したような人間は院には来ないと思いますし、教員は就職活動の支援から開放され、卒業させなければならないということもなくなり、大学・大学院は学問の府になるのではないかと思います。

  • R 11-02-07 (月) 10:45

    博士だと単位取得退学ってありますけどね。さらに、単位取得退学後に論文審査を受ける道もある(僕が今乗っているのがまさにその道、3 月に修了する道から滑り落ちたのさ)。

    修士でそこまで求めるべきかってっと異論もあるかもしれない。企業側からすると、修士卒にはそこまでの期待していないよ。新規性はなくても良いから、詰めるべき所が詰められれば及第でいいんじゃないかな。博士だって本当に新規性があるのかどうか、殆どの場合誰もわからないわけだし。

  • assa 11-02-07 (月) 11:09

    筆者の言ってることがさっぱりわからない。
    特に以下の2点。
    大学が学問をするとこだっていうのは同意だけどそれが直接、就職予備校ではないという結論にはならんでしょ。
    なぜなら社会に出る自分のやりたいことをやる前に、自分の武器になる専門を身につけるために学問に励むのであれば、それは就職を見据えた大学の利用だから。これは必要単位を埋めるために勉強するのとは違うはず。
    もうひとつは学問に励みたいのになぜ単位卒業を奨励する??
    授業に出て単位をそろえることが学問にはげむことだとでも思ってんの?
    論文の一つも書けないやつが大学で学問にはげみました。私の専門分野はこれですって言えるとでも思ってるんだろうか?
    論文を書くために自主的にいろんな授業に出て本を読んで実験をして・・・ってプロセスの方がずっと学問に励んでいるという認識がされると思うんだけど、どうですか?

    最後に新卒採用への疑問は全面的に賛成。
    たかだか3年みたないくらいの勉強しかしてない人たちを就活させても、実学を支える知識の不足教養の不足で日本はかなり損をしていると思う。就活終わったら大半の人は単位をそろえることに走るだろうしね。就活は卒業してからの1年でってしたらいいのに。

  • kaze 11-02-07 (月) 13:09

    筆者は研究がしたかったの?それとも論文を書かずに就職させさせてくれれば良かったの?
    研究がしたかったのなら,自分の自助が足りなかったんだろうし,就職さえ出来れば良かったのなら,俺みたいなやつをとるなよっていう愚痴なんでしょう.
    大学に対する批判は概ね賛成ではあるけれど,自分の研究が思うようにいかなかったことをシステムのせいにしているような気がしてならない.

  • momo 11-02-07 (月) 13:40

    twitter から飛んできた通りすがりです。現在、筆者様と限りなく近い状況です。大学と大学院の問題ですが、もっと根が深い問題であるように感じたので・・。
    意味がない大学院生が生み出されるのは、高校か、最悪小学校か幼稚園の時から「受験マシーン」が大量生産されていることが根本的な問題かと。そういった環境で育つと「自分の頭で考え」「自分の行きたい道を見据える」ことができなくなります。行くべき道は東大を頂点とした「良い大学に入ること」。自分のやりたいこと < 東大に入学 です。本当は違う分野の勉強がしたいのに、東大に合格できたから、いいや入学しちゃおうって人結構いるんじゃないかと思います。「就職を見据えた大学の利用」を考えて受験する高校生は一体どれくらいなんでしょうか。何のために勉強するのか教えない、ともかく実績を出すために詰め込むだけの無目的な教育が、まずは問題だと思います。
    もう一つ根本的な問題は「良い大学に入って良い企業に就職すれば、終身雇用で一生安心」という価値観が依然健在であることです。この価値観の刷り込みと無目的教育のため、自分の頭で考えないまま入学、そのままずるずる大学院という人もいるんではないでしょうか。この世間の価値観が変わらない限り、今の大学と大学院が抱えた矛盾も解決しないと思います。・・と個人的には考えています。
    筆者様は逃げたというより、この矛盾の狭間に落ちたという感じを受けました。長文乱文で失礼しました。

  • Mr.FanHong 11-02-07 (月) 14:08

    ネタにマジレス?かもしらんが… お願いして「退学」にしてもらうのは、除籍扱いにならないようにってことだよ。
    一応「中退」でもそれなりに学歴として価値あるものと認められるわけで、それには大学側の記録として学籍が残されていなければならないのさ。
    最初から入学なんかしてなかったことにしていいなら、単にバックレてしまうんでもお k。

  • CG 11-02-07 (月) 15:19

    【宮台真司】大学受験におけるムダ 平成 23 年 1 月 14 日
    http://www.youtube.com/watch?v=W2cvKg-5iLc

  • 根無し草 11-02-07 (月) 16:53

    Add Your Comment

  • 通りすがり 11-02-07 (月) 17:38

    学問をするということと、研究者になるということは、けっこう重なっているのですが、微妙に違ったりもします。最初に申し上げておくと、大学院であっても、研究者の職業訓練学校であることからは逃れられません。

    学問をする上で一番重要な価値は「おもしろいかどうか」だと思います。もちろん、これは他の職業でも多かれ少なかれいえることですが、学問をする場合には必ず意識にとめておく必要があります。一般向けには様々な社会的意義を強調しますが、研究者からの評価で一番高いのは「おもしろい研究」です。

    そして、単に学問をする上では、自分がおもしろければそれで事足りますが、研究者となるためには、そのおもしろさが他人に伝わるようにアウトプットする必要があります。これが研究者としての職業訓練です。

    その点で、先に投稿されている kanon さんは残念な感じです。自分ではとてもおもしろい力作と思っていても、いきなり 200 ページの論文を興味を持って読んでくれる人はあまりいません。もちろん論文の査読者は仕事なので読むでしょうが、あまり受け手のことを考えない研究者だと思われる可能性はありますし、件の教授はそう思われることを恐れたのだと思います。

    話がそれましたが、学問をしておもしろいかどうかは、やって見なければわからないところはありますし、研究者としての修行は、好きなことを好きなようにやることではありません(場合によっては成果の出る研究の裏で自分の好きなことをこっそりやるような器用さもいります)。4年生を終えた時点でよく考えてみるということは重要かもしれません。

  • ryosnak 11-02-08 (火) 0:32

    Twitter から来ました。
    私も似たような悩みをずっと抱えながら大学院生活を送っていたので、お気持ちはよく分かります。
    私の場合、最終的には幸運にも研究職に就くことができたので、大学・大学院における「職業訓練」と「学問の府」の二つの側面がどちらも矛盾せずに済みましたが、在学中はそれこそ死にそうになるほど悩んでいました。
    周りにも同じように悩んでいる学生は多く、博士 3 年で退学した同級生もいましたね。
    ただ、今振り返れば、若い頃の 2 ~ 3 年など、後からいくらでも取り返しが付くものです。
    あなたのおっしゃるように、1 年間プー太郎をしつつ、将来の自分の「師」や「テーマ」を探す期間を持つのも有意義かもしれませんね。
    そのことに、在学中に気付けるかどうかが問題ですが。
    日本版ギャップイヤーとでもいうべき上記のような期間を持つことが当たり前の世の中になればよいのに、と思います。

    ところで、終わりの方に、
    >「就職予備校としての卒業」と「学の府としての卒業」は
    >分けるべきじゃないかと思ってます.
    とありますが、今の薬学部がそれに近い制度になってますね。
    薬剤師養成のための 6 年制と、研究志向の「4 + 2」制があります。
    まぁ、4 + 2 だからって就職活動をしないわけじゃないでしょうが。
    これから進路を考える高校生の方などもこちらをお読みかも、と思ったので、一応ご参考まで。

  • R.S.T 11-02-08 (火) 2:36

    私の場合、私立の理工系の夜間学部と同じ学校の大学院の修士課程を出たものの「就職予備校」としては役に立ちませんでした。
    ただ、ブログ主と比べて非常に幸運だった点は、学部では昼間の空いた時間に色々と手を出す事ができましたし、院では研究室でもほぼ初めてというテーマに取り組むことや、学外での活動もできたので、「学問の府」として意味があったと思っています。
    これからの社会がどうなるかは分かりませんが、ブログ主にとってやりがいのある事に取り組めることを期待しています。

  • みんと 11-02-08 (火) 12:26

    昨年旧帝大の学部を卒業したものです。
    就職予備校となっているのは事実です。私の大学はどこか世間ずれしており異常に手厚い就職支援がしてないことには好感を持っていましたが、やはり就職が決まらず留年または院進の人が多く見ていて憤りすら感じました。(私自身はフリーランス系の仕事希望で自活しつつ勉強中です)
    東大だとキャリアサポートセンターのようなところもかなり人数が多いこともあり、やはり就職予備校としての色は濃いのでしょう。私学だと保護者向けの就職説明会すらあると聞き、呆れてしまいました。
    学生側の勘違いも甚だしいですが、大学側も経営難からやはり需要にあったサービスをしないといけないとはいえ、現代の就職事情の奴隷と化しているのは問題だと思います。
    また、やはり保護者側の、そして世間のとりあえず良い大学に行けば良い就職先に、といった風潮が問題なんでしょうね。正直行くだけ無意味な、学生は遊んでるだけの大学は存在価値すら個人的にはないと思ってしまいますし、専門学校や高卒就職の道を考える方が賢明な学生が非常に多いのではないかと思います。
    あとはみなさんが仰っているように、就活システムがかなりの問題となっているように思います。大手商社が 4 年夏に採用活動を始めるよう呼びかけているようですが、それでも早いように思います。大学卒業後就活という流れが一番望ましいでしょうね。

    日本の大学は世界でランクが低かったりもしますが、現状を見ているとしょうがない気がしますね。。。もっときちんと学問をする場所として機能するようになればと思います。

  • niam 11-02-08 (火) 16:17

    情報系の博士課程の者です。
    何というか、全体的に学問が就活より難しいっていう前提になっているように読めるんですが、学問ってそんなに大変なものなのでしょうか?学問は新奇性が最重視される点が他の活動と最も異なっている点です。既存研究の蓄積が多く新奇性が出しにくい分野なら学問を発展させるのは大変ですが、とにかく誰もやっておらず、意義があるものをテーマに選ぶのであれば新奇性は出るので、ひと月、一週間でまとめられる研究というのは存在します。
    例え非常にマイナーな分野でも、とにかく、その分野の人達に何らかの意義があるのであれば、立派に学問を発展させたと言えると思います。
    例えば、「実際に就職活動をしている学生のブログ記事だけを自動的に選別してウェブからひたすら集めてくるソフトウェアを設計して、その選別精度を報告する」というぐらいでも、他にやっている人はおそらくいませんし、ウェブ上の就職活動をしている学生の意見を集めて分析しようとする際には必須の技術になりますので、十分学問を発展させたと言えると思います。

    なので、学問を発展させるような貢献を単発ですること自体は、そんなに難しいことではないと思います。むしろ、難しいのは、一人の人間が学問に継続的に貢献し続けることです。それが出来ると認められて、給料をもらって実際にこの活動を行なっているのが、プロの研究者と呼ばれる人たちです。学生とプロの研究者との違いは、給与の有無と継続性の有無だけで、学問への貢献の程度の高低ではありません。

    大学院は、おっしゃるとおり、プロの研究者の教育・養成機関ではありますが、同時に、研究機関でもあります。2つの役割を同時に担っているのです。プロの研究者を目指さない学生も、研究を通じて学問に単発の貢献をすることは出来るわけですから、彼らの力も借りて研究を推進するのも大学院の仕事の一つです。プロの研究者を目指さないが、人生の一部を学問への単発の貢献に費やしてくれる彼らのような人材を大学院が拒むことは、研究の推進という大学院の役割に対する背信とも捉えられます。プロの研究者の教育・養成だけが大学院の仕事ではないので、プロの研究者を目指さないからといって大学院に来るべきではないというようなことはありません。

    プロの研究者になれなかった/ならなかった学生の価値を決めるのは、労働市場の仕事です。大学院において、就職活動が盛んであるということは、プロの研究者になれなかった程度の学生でも、労働市場においては企業が欲しがる程度に高く評価されているということなので、大学院にも労働市場にも良いことだと思います。

  • haru 11-02-09 (水) 0:25

    私は今まったく同じ悩みに直面している国立大学工学部 4 年生です。なんとなく周りに流されなんとなく大学院への進学を決めました。本当に今になってなんで就活しとかなかったんだろう・・と毎日後悔しかしてません。正直残念ながら研究にもまったく興味が持てませんし、もともとそんなに賢くない自分には向いていないことも重々承知しています。そして、そんな私が研究室にいるのが申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当に毎日「死にたいな」と思いながらも、休んだ時の周りの反応が怖くて学校に行っている状況です。年に数回ある報告会も苦痛で苦痛で仕方ありません。今本気で入学辞退または休学しようか迷っています。
    こんなこと相談しても知るかという話しだと思いますが、何かアドバイスがあればお願いします。

  • hige 11-02-09 (水) 23:38

    研究をやる気がない奴が大学院に来ると,本当にやる気のある奴を邪魔し,モチベーションを下げる構図になり得ることが問題だ。単に,雑談しに研究室に来ているような院生もいる。特に実験系ではない領域の研究室では,周りの生産性を劇的に下げるので致命的な問題だ。忙しいからと放置している指導陣に問題があるともいえるが,より正確に見てみると,実際の所は,’忙しいから’という理由で自分の研究室の実態を知らず,教育を放置している指導陣が如何に多いことか。彼らが大学に努めている以上,研究者としての責任と共に,教育の責任があることを忘れてはならない。

  • vanbraam 11-02-10 (木) 7:22

    自分が筆者の周囲の人間だったらという想定で考えてみました。

    1 とりあえず止める
    2 春からの就職に影響がないことを聞く
    3 “大学院中退”というレッテルを,(周囲のせいにせず)自分の判断の結果として一生背負って行く覚悟はできているか尋ねる
    4.1 3 が yes だったら,それなら自分の好きなようにすれば,と言う
    4.2 3 が no だったら,悪いことは言わないから修了しとけ,と言う

    ちなみに私は,筆者の「大学/大学院は学問の府であるべき(より正確には”学問のみの府であるべき”)」という考えには同意しません。

    大学/大学院に入った人全員が学者になる必要はないし,またなれるはずもありません。またもともと大学/大学院は,産業界に有為な人材を提供する高等教育機関としての側面を持っています。これは海外でも変わりません(MBA なんてもろにそうです;就職予備校というのとは少し違いますが)。

    そもそも東大の場合,2 年間は教養で 3 年次から専門に入るわけですが,3 年生の時は研究室に所属しないので,研究室に属して研究の真似事を始めるのは 4 年生になってからだと思います(昔と変わっていなければ)。院に進む人は 4 年次の前半を院試の勉強に充てるので(推薦取るような優秀な人は別),卒論とかいっても実質的には半年の活動です。

    そんなもので研究ができるわけはないので,大半が実際には,博士課程/修士課程の人等の研究活動をもとに卒論だけ書いて終わりです。

    院に進んでも,修士 1 年次は研究の進め方もわかっていませんから,経験者の研究活動を手伝って進め方を学びます。修 2 になって初めて,能力的には自分で研究計画を立てて進めていくことができるようになりますが,初めてのおつかいならぬ初めての(ホントの)研究ですし,博士に進むと決めていない限り 1 年で結果が出るテーマを選ぶという難しい縛りもあるので,教授や博士課程の人たちに助けられ,支えられながら研究を進めることになります。つまりこの時点で進めている研究は一人前の研究ではありません。

    要するに,修士課程を修了して,ようやく研究者としてのスタートラインに立てるか立てないかぐらいのレベル,というのが実情だと思います。

    もちろんこれは私のような凡庸な工学系修士の話で,優秀な人はもっと早く研究者としての才能を発揮するでしょう。ただ世の中学術の世界で生き抜いていける優秀な人よりも,凡庸な人間の方が(たとえ大学院であっても)遥かに多いのです。

    一方で,研究者になれない/ならない人間が上に述べたような 3 年間(学部 4 年+修士 1〜2 年)を過ごすことが無駄かというと,そんなことはありません。

    実際に私はその 3 年間で「論文の書き方」を学びましたし,「研究の進め方」を(身に付けたというのはおこがましいので)学びました。

    「論文の書き方」を知っていると,他人の論文を読む力(← 研究者でなくても技術者としては必要な能力)も向上します。論文を 1 回でも自分で書いたことがあれば,論文がどういう構成を持っているかがだいたいわかるので,自分の知りたいことがどのへんに書いてありそうかだいたい検討がつくからです。参考文献の探し方なんかも身に付きます。

    「研究の進め方」を知っていると,論文をさらに”立体的”に(=研究のだいたいの構造を把握して)読めるようになります。うまくすると,研究内容の良し悪しの判断もより正確にできるようになります(この辺が弱い,とかわかるようになるので)。また「研究の進め方」自体,研究だけでなく広く一般的なプロジェクトの進め方に応用できます。

    正直,職業人としての今の私を支えてくれているのは,修士課程の 2 年間に学んだことだと私は感じています。

    まあ,2 月退学ということは,筆者は(修論は書かなかったものの)上に述べたようなプロセスは一通り経験されたのでしょうから,そういう意味ではくどくど書く必要はないのかもしれません。でも単位卒業については(上に述べたような観点から)私は否定的です。同様に,就職に(一見)役立たないからといって,卒論や修論に手を抜く人は損しているなとも思います。

    結局,私から見ると筆者のような人は,
    ・物事を役に立つか役に立たないかでしか考えない
    ・かつ短期的にしか物事を見られない
    ・目標に到達するまでの過程をコスト/苦役と捉えている
    かわいそうな人だなぁ,という印象です。こういう人はそもそも研究者に向いてないと思います。優れた研究者はだいたいこの逆,すなわち
    ・研究が何の役に立つのかは余り考えない(興味を引く/面白いからやる)
    ・比較的長期のスパンで物事を見る
    ・目標に到達するまでの過程を楽しむ
    の人が(少なくとも私の知る範囲では)多いように思うので。

    あと,
    ・物事を一面的にしか見ない/見られない
    も追加した方がいいかな(というかこれは 1 番目の抽象か)。”〜であるべき”という考え方は,思考に枠を嵌めてしまうとともに,排除/否定の論理に傾きがちです。たぶん筆者よりかなり年上のおっさんがこんなこと言うのも変ですが,もう少し物事を多面的かつ loose に見た方が世界が広がると思います。

    この頁に来た人が,本エントリーだけでなくコメントも読んだうえで大学院進学について考えてくれるとうれしいのですが。

  • kk 11-02-12 (土) 13:41

    要するに研究者に向いていない人はかわいそうなんでしょうか?

  • ash 11-02-12 (土) 15:04

    「学問の府」として機能していない大学が多いことに対する憤慨には相通ずるものを感じるが、同時にそれも日本の様々なシステム(とくに就職に関してのそれ)と表裏一体であるのだから大学のみが責められるべきでないという思いも抱いた。

    「大学卒、大学院修了」という「資格」に会社なり社会なりが高い価値を与える以上、そこに帰属しようという者がそれを目指すのも、必ずしも責められるべきではない。better life を希求する権利、人生を選択する権利の一部として。
    また、そういった学生を所属させる大学も、そういった方向に向かってしまうのも、ある程度は自然の流れだと思う。より理想的なのは、そういう学生がいることを自覚しつつも、あくまでも学問の質を下げることなく、求めるべきは求めていく姿勢であるのだろうが、法人化等に伴って学生を「お客様」として扱う必要がより高まったのも、また事実であるのだろう。

    と、ここまで書いて何が言いたいかと言うと、(周りからは「なんでまたそんな金にならない選択を…」と憐みおよび理解困難さを示される一方で、学問を追究し続ける道を選択をした社会科学系大学院生としては)
    自らの意思に従って、様々なシステムをうまく利用していくぐらいしか、個人にはできないのだろうな、ということ。

    修士修了と同時に就職するために就活にいそしむ同級生も多く、彼らがゼミのレベルを下げてくれちゃってる現状もあるけれども、真理を追及していきたいというのなら、それとは関係なく、自らの歩みを続ければいい。
    逆に、修了して、その後は大学を離れるんだという人も、修了のために要求される水準を卒なくクリアしつつ、あるいは、暫くはまともに触れられなくなる学問の空気に敢えてどっぷり最後まで浸かりつつ、自らの道を歩めばいい。
    (ま、そもそも、大学側も、学生に対して、完全に一律のレベルなど求めていないってよく聞くし・・・)

  • あ 11-02-12 (土) 19:53

    俺は学問なんてこれっぱかしも興味ないんだけど、専門職に就くために必要だったんで大学に行った。
    そういう意味では、就職や就職後になんの役にも立たない単位とか研究論文とか、俺の人生にとっては特に足しになるものではなかった。
    でもよ、世の中理想と現実がかけ離れてるもんじゃん。
    高校受験のころから、暗記ばっかりの詰め込み教育に辟易してたけど、これ最終的には会社へ就職するときのためのふるい落としなんだよね。

    本当はさ、大学ってのは最新の知識・設備・高度見識者が集まってて、
    金に直結しないけどいろいろウダウダと研究したり、専門職のための技術研鑽したり、思索を深めたり、
    個人では用意できないような高価で高度なものを利用させてもらったりとか、
    そういう場所であるべきだと思うんだけどさ、
    採用する企業側が大学から出てきた人間のそういうところ評価しないのよ。

    会社側が大学に求めるものを変える。
    もしくはなにも求めない。
    そうしたら少しは変わるかもね。ただそうすると凡人は大学に投資しなくなるから猛烈な財政難と淘汰が起きそうだけど。

  • 通りすがり 11-10-18 (火) 15:18

    とても共感しました。
    肩書き文化の名残でしょうか、日本人の自信のなさ・責任が怖いからか、お墨付きが必要だったのでしょう。私が当時の採用係だったとしたら同じような基準で選んでいたに違いありません。
    私自身も、何がしたいわけではなく、「強いてやるならこれ」程度で”勉強”しており卒業を目的としているといわざるをえません。
    しかしやはり、本当に好きなことが大学の中にあってその学問をやっている人も多くいます。私は 2 年の終わり頃にですが、大学はそれくらいの覚悟をもって入る場所なのだと感じました。
    今はあくまで社会的な印象に対する抵抗力としての学業より本当にやりたいことをやりたいと思っています。

    是非、信じた道を進んでください。

  • butu 11-11-17 (木) 11:07

    たまたま見つけて読ませていただきました。私も同じ状態です。
    というのも、今在籍している大学院は学部とは全く違う分野で、
    私は、その分野について学習したいと考えて入ったのです。
    その目的はある程度は満たせたのですが、論文でつまずいています。
    私にとってはその分野の学習の場として利用したかっただけで、
    研究をしたかったわけではないのです。
    それに入学前に気付けなかったものですから、論文で苦労することになっています。
    私の学部では、研究者を育てるというのと、その分野における専門的な知識を持った職業人を育てるという二つの目標を掲げています。
    それならば、論文による卒業と単位による卒業が用意されていた方がよいのではないかと思っていました。

  • sachiyo 11-12-25 (日) 16:19

    修士2年のこれから修論書く者です(締切は2月下旬と遅め)。理系の実験系の研究室です。
    色々共感するところがありました。
    教授陣は学生を給料を払う必要も無く労働法で守られてるわけでも無い、使い勝手の良い労働力と思っているようで、私も学部後期課程の頃からなら「研究こそ正義」と洗脳され、
    95%の同級生と同様に院へ進学しました。
    気づかない学生も悪いけど、気付かせないようにした教授陣も今思えば罪だと思う。
    私は修論書くしかない状況なので、今から頑張ります。

  • U n 12-01-16 (月) 19:07

    読ませていただきました。
    かなり記事を書かれてから時間がたっていますし、現在は異なる考え方をしていらっしゃるかもしれませんが、一つ思うことがあったので書かせてください。

    それは現在は薄くなっていることではあるのですがあなたが所属していた「工学部」
    というのは、「学の府」を目的として立っているのではない ということです。

    今でこそあまり注目されず、それこそ就職実績くらいでしか比較されていないかもしれませんが理学、工学では根底にある発想が全くの別物です。
    とにかく探求したいのが理学、役に立つものを作りたいのが工学 といった具合に。
    化学とかでは意外と理学、工学が近かったりしますが、物理などに関しては大きく異なっており、理論物理の研究者が応用物理を下に見たりなんていう冗談みたいなことがいまだにあったりします。

    なので工学部に行っていたあなたが「就職予備校化がひどい」というは、靴屋に靴が置いてあることに文句を言っているのと大差ありません。
    工学部は役に立つものを(中心に)学び、生かす人間を育てる学部なんですから企業に勤めて知識を生かすというのは、工学部の正当な道です。

    あなたの工学部では卒論を提出しなければならないというのもそういった理由があると思いますよ。よい成果はあげられなくても結果はまとめなければいけません。だって結果が目的なんですから。

    あなたは大学のどういった面を見ていたのですか?
    「学の府であるべき」ということを学の府として用意されている学部に向かわずに語ることは
    ただ単にあなたが考えた「こうあるべき」という妄想を押し付けているようにしか見えません。(もちろん全ての大学の全ての理学部が学の府だとは思いませんが・・・・)

  • 通りすがり 12-01-17 (火) 23:15

    城繁幸さん等の議論が良い問題提起になっていると自分は思います。大学の出口の問題で、「職務(仕事内容評価)」では無くて「職能(格の評価)」の給料になっているのです。
    経団連のレポートで言う所の、最上位「長期蓄積能力型グループ」は職能給でないと難しいかもしれませんが、ルーチン的な傾向の強いホワイトカラーと現業職(80%とか90%ぐらいの人々)には職務給型の教育・訓練システムと賃金・労働体系にすると、当事者の自信や将来性の面でも制度や不平等感の面でもすっきりする様な印象です。
    職務の中で成長すれば、高度正社員は無理だけど、仕事能力が認められて評価される、というのは展望があり健全と思います(教育についても、その仕事部門・内容について専門的に行われます)。
    陰謀論的な言い方をすれば、格給制度を放置して、「格が下の労働者」内やそこに転落する恐怖に依って内部統治をさせ(抑圧の委譲)、コスト削減したり問題意識を削ぎたいのでしょうか。
    これはうがち過ぎかもしれません。
    ただ、(よく事情を知らないおもに中流層の)教育ママ(パパ)を煽てて稼ぐ教育・大学・就職産業の存在は間違いなくあります。

  • Yahoo! 12-01-28 (土) 12:38

    大学のシステムに不満を言うより、
    就職先に期待したほうが建設的で成功者の考え方に沿うのでは?

    一番大切なことは、やりとげること。

    他にやりたいことがあるから退学するならまだしも、
    大学に馴染めなくて自分に負けたから退学するのでは
    全然意味が違う。

    正直、学部四年から研究室に来ないのに大学に席をおいてもらって、感謝どころか不満を言うようでは、どこいっても成功しないよ。

  • cep 12-01-30 (月) 15:25

    「大学は学府であり専門学校ではない」ということは、学問の府を目指す人にとっては常に揺るぎないコンセンサスですが、専門学校を目指していた人にとってはそうでなかったということに気付く必要があります。
    どれほど高い潜在的能力を持つ人材を数多く集めても、その輩出先や支援元、権利団体がそこに人の供給を完全に依存している場合、「大学」の独自性は保てないのです。
    反対にこの 2 点(中立な学府であること、独自性のあること)さえ守られていれば、教員の教える内容がどうであれ世界史上初めにできた universitas に近い存在になるわけです。

  • 学問の府(笑) 12-02-26 (日) 18:52

    立命館大学経営学研究科の修士課程のものです。

    「自分たちが 「学の府」なのか「就職予備校」なのかをはっきりと示して,そぐわない学生を 取らない様にすべきじゃないでしょうか.」

    との記述は、まったくもって共感します。

    同じ研究室の同期について、「お前らはどうせ学問なんてただのハードルの一つとしか考えていないだろ」といって邪険に扱う人もいますが、その人たちを馬鹿にしたり、邪険に扱ったりするのは、完全に筋違いだと思います。

    大学はスケベ心を出して、建前では学問の府とかいって、憂うふりをしながら、本心ではそのような人たちを取らないと経営がやってけないからどんどん簡単にして、卒業のハードルも下げている。

    学部ではいいと思いますが、院でこのようなことが起こってくると、いずれ内部崩壊を起こすと思います。

    少なくとも、立命館の経営学研究科では、就職予備校としての機能がメインで、えらい先生方は、学生の質を憂いながら、そうだからといってもうからないのはまずい。という論理でハードルを現在も下げ続けているのだと思います。

  • noname 12-03-25 (日) 0:51

    就職予備校としての大学に行きたかったのに最高学府の東京大学に行ってしまったのがそもそもの間違いですね

  • 通りすがり 12-03-26 (月) 12:47

    大学はボランティアじゃないのだから,迷惑かけずに金払ってくれるならノミでも入れると思いますが.
    日本人は店やサービスに対して信頼・期待しすぎだと思います.
    日本でなけりゃすぐに身ぐるみはがれますよ.

    どうせ期待してないなら入れないでくれ,なんて言うのは意味不明です.
    明確にやりたいことないなら行くな,はその通りと思います.
    何というか最後あたりの捨て台詞が皆さんの過剰反応に繋がっている気がします.
    どうか,開き直らずに頑張られて下さい.

  • とろん 12-11-03 (土) 17:18

    日本ではなく海外の大学院に進学しました。予想通り授業も課題も試験も大変で、挫折しそうになった時もありましたが、無事卒業しました。海外の場合成績が足りないと KICK OUT されます。できない人はそこで終わりです。日本でも海外でも中途半端な気持ちでは自分を苦しめることになりますね。私も一時苦しかったです。日本の就職活動システムは本当に問題ですね。

  • 律 13-01-17 (木) 18:02

    うーん、古いせいかあまり共感できませんでした。
    上でどなたか他大の方が書いていましたが、東大も同じで、学の府と就職予備校の中間だと思います。少なくとも自分の研究科はそうです。あ、工学系です。
    ただ、研究室でのこと(研究とか勉強とか)って授業と違って、自己責任でやっていかなくてはならない場面がすごく多いと思うんです。だから、ただ課題の提出と期日と範囲の決まった試験が得意なだけで自分の進路を真面目に考えないで東大きちゃった系の人間には結構きついですね。
    私もそういうタイプなので、研究室ではとても落ちこぼれました。でも、せめて修論は無能なりにつまらなくても書くつもりです。大学院から修論が無くなったら、大学と大学院を分ける意味、ぜんぜん無いと思いますよ。

  • menko 13-02-20 (水) 18:41

    医療系大学院の資格取得のコースに進学した者です。
    資格も取れて修士号も取れてお得!みたいな宣伝文句に釣られたわけですが。
    つまり「学の府」でもあって「就職予備校」でもあるんですよね。
    当然進学する人は資格がほしい訳ですから、修士論文のことなんか考えない、学問は二の次!な考えなわけです。でも卒業するにはどちらも疎かにできないんですよね。
    1 つ上の先輩は修論に追われ国家試験に半数以上の方は不合格になってしまいましたし。研究も国家試験も全部自己責任だろと言われてしまえばその通りなんですよね。
    2 年間勉強して、本当に「学の府」と「就職予備校」の両立は難しいなと実感致しました。それでもどちらも両立できるようにサポートしてくれた指導教員がいてくれたお陰で何とか卒業できそうです。ですが学生は自分の奴隷だと思っている方の教員が指導教員だったら、私はとっくに退学していると思います。自分の努力で何とかしないといけない部分もありますが、教員次第の部分もあると思います。

  • 通りすがり 13-09-05 (木) 19:32

    工学系を修了したものです。
    確かに研究をするために大学院に来る人ばっかりだったらどれだけ研究生活が充実したかなと思います。しかし大学は就職予備校化してしまうのは避けられない現実なのかなとも思います。就職難と言われてあぶられて、研究職はポスドク問題でお先真っ暗というようなイメージを植え付けられてしまっては安心して学問に取り組める人はそんなに多くないと思います。
    私の研究室は就職予備校意識がマジョリティだったので、研究をしたい人間にとってはいかに彼らに流されないで自分を律するかというところは労を要するところかと思います。

    少なくとも私が知っている工学系の優秀な学生たちは日本の大学には残らないです。上の方が書かれているように大学には残らないで、就職するか海外に行く人が多いと思います。はじめから学部系統の目的として実務者を育てるという意味合いが強いからだと思います。

    周りの人の空気の伝播力というのは確かに強いけれど、どうせ適当に書いても論文が通るんだったらもう自由に好きなことを好きなだけやればいい。やりたいことを見つけるには確かに時間がかかるけれど、それだけ環境に不満を持っていたのであれば学問の中から突破口を見つけられたんじゃないかなという気もします。専攻が何だったかはわからないけれど、現状への不満から問題発見と情熱を掘り当てる研究者は少なくないので。

  • 188bet 14-03-14 (金) 19:01

    ただ、研究室でのこと(研究とか勉強とか)って授業と違って、自己責任でやっていかなくてはならない場面がすごく多いと思うんです。だから、ただ課題の提出と期日と範囲の決まった試験が得意なだけで自分の進路を真面目に考えないで東大きちゃった系の人間には結構きついですね。
    私もそういうタイプなので、研究室ではとても落ちこぼれました。でも、せめて修論は無能なりにつまらなくても書くつもりです。大学院から修論が無くなったら、大学と大学院を分ける意味、ぜんぜん無いと思いますよ。

  • 昔の卒業生 14-12-03 (水) 17:55

    東大大学院工学系研究科を修了したものです。私も同じ考えを持っています。大学院で得るものはありますが、2 年 5 年と年数を掛けてまで得るものなのかというとそうでない気がしました。 度の研究室に入れるかによってやれること、使える設備、お金も違って来ました。やりたいテーマをやれといわれても希望する研究室でなければできないし、裕福な研究室と貧しい研究室ではやれるテーマやできることが違います。運が悪ければ(こういう人は多いのですが)気の進まないテーマを卒業のためと割り切って少ない予算でやるしかないのです。与えられたテーマなのに論文審査の時に指導教官から「こんなやり尽くされた研究をやって何の目的があるのだ」と質問されて窮地に陥るなど実に理不尽な世界だと思いました。学んだことは組織で仲良く酒をのみ卒業してからの人脈になると言うことくらいです。結構役に立ちます。大事な事ではありますが 2 年 5 年掛けるほどのものなのか疑問です。開成高校の卒業生は昔から学内で特別な集団(いいやつらです)でしたが、息子が開成に入学して欲分かりました。有名大学にはすべて開成会があり、人脈とその情報力は結構なものだと思いました。東大に入学してから勉強しますが得る学力より失う学力の方が多く専門学部、大学院に進むに連れて、テストは簡単になり、レポート形式が増える。大学院は専門家養成機関とも言うし教育機関とも言います。教育機関はお金の無い研究室の先生の言い訳ですが、今では修士は当たり前の様ですが、研究者の入り口だそうです。私たちの時代は東大に入ることに価値を求めていましたが、惰性で大学院にいった感じです。 国家公務員 I 種試験の問題を作ったことがあります。理工系は大学院修士卒程度を目処に問題作成を求められるのですが、研究室毎に個別のことをやっている大学院レベルの出題などできるわけがありません。結局学部で習う問題を出題するので学部生の方が成績がいいはずです。学部 4 年で官庁まわりをしたときも学部学科毎に省庁の幹部ポストが決まっていて、”ここ数年君の学科から入省してないから、別の学科の出身者にこのポストをとられる。今 OK してくれるなら内定を出す”なんてことは同級生はほとんど言われたようです。また、”文系はともかく理系の試験で 1 番をとるようなやつはうちは採用しない”なんて事も言われました。東大は、学部に入学する努力の才能を評価されているのであり、中ではそこそこ普通に卒業できればよいと言われているようなものです。卒論研究で忙しければ大学院入試の勉強なんかできませんし(公務員試験の勉強もまったくやりませんが)、受かったので入ったという人がほとんどなのではなかったでしょうか? 就職の際でも学部から入学した東大生は評価されますが、学歴ロンダリングで聞いたこともない大学から入った卒業生はまったく相手にされないことも多いです。このことは大学院卒業が企業社会から評価されていないことを意味します。学歴ロンダリングが有効なのは公的教育機関と公的研究機関くらいです。やりたい研究を見つけろとかやりたい仕事を見つけろとか言う人が過去に大勢いました。そんな研究や仕事にありつけるのはほんのわずかです。坂の上の雲の秋山真之や米国のジョージワシントンは人殺しが好きで軍人になったのでしょうか? かれらは、うまくできて褒められたから、評価されたから軍人を極めたのです。よく和田秀樹さんが書いている様に、好きと向いているは違います。 今はどうか分かりませんが卒業して数年もして同窓会名簿を見ると灘高の卒業生の多くが神戸大医学部、阪大医学部などに再入学していることが分かりました。修士課程の時某企業から毎月 16 万円の奨学金をもらっていたような人がです。 先日ラジオで聞いた話です。、ある成功者(元大銀行の支店長)が、自分の顧客だった人の中で幸せそうだった人を 10 人ピックアップした。その共通点は「経済的自由」と「時間的自由」があることだった。自分には経済的自由はあったが時間的自由が全くなかった、それで脱サラしてその 10 人と同じ職業になる様に努めた。ということでした。職業は想像してください。 私の東大志望だった息子は国立某医学部に進学しました。2 つの自由があるかどうか分かりませんが、患者さんから評価してもらえるからいいのでは無いかと。 物理や数学が好きなら趣味でやれば。 日本物理学会には本業医者なのに統一場理論の研究発表をしている先生もいたと聞いています。また、医者の友人から、今の日本で研究医は止めとけともいわれました。大学の研究医は毎月 1 本の論文を書いているのはざらだそうです。でも中身は半年もしたら正反対の結果が出るようなことも多くあります。小保方さんを笑えないし、かつて IPS 守口と言う人もいましたね。数物系はまだマシだとは思いますが。。 ちなみに高校から友人が柏キャンパスで X 理系の教授をしています。どちらかというと望んでくる学生は少ない様で、修士を卒業すると医学部に学士入学する時の受験科目が一つ減るとかで数年前は日本で古くからある有名な家系のお嬢様に推薦書を書いたといっていました。
    東大は学部だけが評価される。大学院は他と比べ設備と先生がいいだけ。設備と先生がよくてもそれは学生が優秀な証拠にはならない。好きなことと向いていることは違うということです。

  • あああ 14-12-08 (月) 23:40

    >東大に入学してから勉強しますが得る学力より失う学力の方が多く専門学部、大学院に進むに連れて、テストは簡単になり、レポート形式が増える。

    こんなこと言ってる時点で程度が知れるな。
    東大の学部入試レベルの学力から失うものなんてないだろ。
    あんたも本当に院出てるなら、ペーパーの点取りゲームなんざお遊びも同然ってことがわかるはずだが。

  • ちょっと見のものです 14-12-10 (水) 10:56

    学部入試はちゃんとしてると思いますよ。高校の友人が数年前、東大物理の入試問題を作った。過去に出題されていなくて高校の範囲で解くことができて、最新の英文論文誌に掲載されていたものから出題したそうです。試験問題の解答にクレームがつかないように真夜中、助手以下には内緒で研究室で実験してビデオに収めたそうです。そのビデオは東大の入試関係の金庫に厳重に保管されているそうです。 ”あああ”さんの発言は学部入試作成者に失礼じゃないですかね。 これにくらべて大学院入試は事前にネットで流れたりしたことがあります。よく言えば大学院は専門家養成所なので入ってからを重視しているということです。学部は基礎学力重視。

  • あなたの考えには反対しませんが 14-12-18 (木) 13:51

    >ただ,その優しさが人を傷つけることがあるという ことも少しは自覚した方がいいのかも知れません.専攻や研究室自身も,自分たちが 「学の府」なのか「就職予備校」なのかをはっきりと示して,そぐわない学生を 取らない様にすべきじゃないでしょうか.

    これは自己責任でしょう・・・・・・。
    失敗から学ぶことは大事ですが、人の所為にすると一気に底が知れてしまうと思います。

  • 通りすがりの落ちこぼれ 15-01-05 (月) 3:39

    修論提出1ヶ月前の修士2年。今まさに全く同じ気持でいます。
    院に進学する際にもっとよく考えるべきだった。。。
    かなり辛いですが意地でも修了してやろうと考えています。

  • ちょっと見のものです 15-01-09 (金) 9:37

    ”通りすがりの落ちこぼれ”さん、ガンバレ。あと少し。まわりと相談しな、なんとかなるよ。
    専門にこだわる職人を目指すのか(それもいいけど)、未知の問題に不屈の精神で対応できる柔軟な頭を持った教養社会人を目指すのか? 学歴ロンダでなく正々堂々と大学に入ったのなら後者を目指すべき。
    つまり、いろんな事に興味を持ち、基礎学力を武器に勉強することで、どんな専門家とも話ができて、大学時代(人によっては高校時代の交友関係も含めて)の人脈も活用し、いろんな課題にぶつかっていける人になってください。
    修士卒は履歴書が一行増えるだけだけど、その時にできた人脈はそれ以上の価値があることが将来分かるはず。専門にこだわらないこと、基礎を忘れずに。銀行だってテレビ局だって国連だって何処だって行ける。東大の先生も紆余曲折が多いの知ってる。光石工学部長だって理学部物理学科から工学部に学士入学だし、みんな悩んできた。