人間には二種類あるけど、優劣はない

「アイデアのつくり方」を読みました。こんなに「小さく」「薄く」「文字が大きい」 本なのに、すごい内容のある本でした。というか、ものすごい自信がにじみ出ている本で、 だからこそ伝えたいことが明確に伝わってきました。僕もいつかこんな本が書きたいと 思いました。

人間は二種類いる

「アイデアの作り方」でも真面目に、しかも厳しく指摘されていることだが、 人間には大きく分けて「二種類」のタイプがあると僕も思う。

本書の言葉を借りれば、「この世界を組み立て直す側の人間」と「型にはまった、 着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な人間」の二種類だ。これが生まれ持った ものか、それとも後天的な環境でそうなったのかということはどうでもよくて、 現実に2つのタイプの人間がいるということは、確かに事実だと思う。

また、最近見かけた以下のエントリでも、似た様なことを言っている。

そして、都会とは、直線的に発展し二度とそこには戻ってこないような性質の時間ということだ。 田舎で生きるということは、都会の直線的な時間を変奏としつつも、主題としては循環する時間の中で生きることを選択すること。

田舎の人は循環する時間という「宗教」を信仰している – アンカテ

「都会の人」が前者であり、「田舎の人」が後者に相当する。

僕が勤める会社は、「田舎の人」にはあまりにも合わない環境だと思うし、 会社もそれは知っていてそういう人は採用していないし、ブランド戦略的にも わざわざ無駄な金を払って田舎の人に認知させる努力はしていない様だ。

だから、僕の周囲で「田舎の人」側が多い環境において、会社の名前を出しても 誰も知らないし、そもそも仕事の仕方とかがなんか違っている。僕は今の自分の 仕事内容を会社の中で比較して、スピードが遅すぎて情けないと思っているけど、 その僕ですら、「そんなゆっくりやっててどうするの?」みたいな仕事の人も多い。

優れていると思うとか無駄

でも、いつも言ってることだけど、この2タイプに「優劣」は存在しない。 僕は「都会の人」側だから実感するけど、こちら側の人は自分達を「優れている」と 思い込んでいる人がおそらく多い。実際、僕も22歳まではそう思っていた。

毎日おんなじ生活して、ドラマの話に花を咲かせ、誰が誰を好いているなどに 人生の大半を割く人達の生き方は、僕の目には圧倒的に無駄に思えて仕方なかった。 絶対にあんな生き方はするまいと、わけの分からない誓いを立てていた。

今となってみれば、全く持っておこちゃまな考え方で、これぞ中二病という感じだ。 残念ながら僕はこれを大学4年まで引きずっていたわけで、お陰でいろいろと チャンスを逃し、選択をミスし続けてきた。

「この世界を組み立て直す」人は、確かに傍から見ればすごく見える。でも、 その人達が世界を組み立て直せているのは、循環する時間で生きることを選択している 人達があってこそだということを分かっているのだろうか。そう思わざるを得ない 瞬間が、「都会の人」側の人と付き合っていて思うことがある。

あなたが毎日きれいなオフィスで仕事できるのは、誰のおかげですか?大きな会社だと 普通は清掃業の方が朝早くに掃除をしてくれています。彼らは決して世界を作り変えたりは していません。でも、彼らが1日でも仕事をしてくれなかったら、すぐにゴミ箱は あふれかえり、トイレは不快な空間になります。自分達でそれをやらねばならず、 その分の時間は世界を作り変えることに使うことができなくなります。

うちは小さい会社で掃除だって自分達でやってる?じゃあ掃除した後のゴミはどうして いますか?自分達で焼却して所定の場所に埋め立てていますか?トイレに流した ものはどこへいっていますか?

僕はこの1週間、7:30に会社に着いていた。フロアの掃除の方が丁度やってくる時間で、 毎朝挨拶をした。多分顔を覚えてもらった。毎朝そうやって感謝をすることで、 自分が変なプライドを持たない様にという意味も込めている。あの方達が掃除を してくれていることで、僕たちは全力で世界を作り直す仕事に取り組めるのだから。

こういうことはいくらでもある。自分の周りのほとんどのことは、自分以外の 人達の毎日毎日の繰り返しによって支えられている。コンビニの店員なんて、 同じことの繰り返しで、僕にはとても耐えられない。だからこそ、僕はコンビニの 店員さんはすごいと思って接している。店員さんがちょっとミスしたくらいで、 わけの分からない怒号を飛ばす人を見るたびに、なんて哀れな人なんだろうと 思ってしまう。

繰り返しになるが、ちょっと前までこんなことかけらも思っていなかった。 今の僕から見れば、実に哀れな人間を作り上げていた。だからこそ良くわかるのだが、 いまだに中二病続けてる人が、「都会の人」の中にはたくさんいる。 そんな奴に「世界を作り変える」なんてことはできないと思う。 「世界を作り変える」ことも、「着実にものごとをやる」こともできない、実に 中途半端な人間=僕が出来上がる。そして勝手に「死にたい」とか言いだす。

東大に入ってくるようなプライドの高い連中は、なかなかこういった事実 (=自分は田舎の人の支え無しには行きて生けない)ということを認めようとしない。 早く気付けばいいけど、僕みたいに遅くなると、退学するような道を歩むことになる。 もし同じ様な人間がいたら、早く気付くといいよ、と言い続けたいと思う。

劣っているとか思うことも無駄

さて、翻って「田舎の人」の側についてだが、僕は半分くらいこっちにも脚を つっこんでいて、前にも書いたように「多重性」を持った人間だと思っている。 で、そちら側から考えてみると、自分達のことを無駄に「卑下」する人が多い。 さっきから言っている様に、両者に「優劣」など存在しない。「好み」とか 「合う・合わない」なら分かるが、超越的な視点から判断される「優劣」など あるはずがない。

なのに、自分達のやっていることは「誰でもできること」とか言ってみたり、 「世界を作り直す」と言っている人に対して、その人のことをよく知りもせずに 「すごい」と言ったりする。実際はあなたの方がすごいことをしているかも知れないのに。

そういうのも無駄だからやめた方がいい。お互いに必要なんだよ。どんなに くだらない仕事に見えても、そのほとんどは何かしらの意味があって、それによって 支えられている人が必ず存在する。もしその人がすごいことをやってのけたのだったら、 あなたも同じ様に胸を張っていいはずだ。

新しい世紀を生きる

僕は日本しか知らないから、ここは激しい偏見だと思うけど、両方とも「中流意識」 みたいなもののせいなんじゃないかなと少し思う。「みんな同じ」と思い込ませる 洗脳をされたものの、「みんな『自分と』同じ」と解釈していて、だから 自分よりスゴい人を見ると妬み、自分より下の人を見ると悦に入る人ばっかり。

人間は、全員違う生き物です。見た目似た様なパーツ配置をしてるかも知れませんが、 確実に違う生き物です。だから自分の生き方に自信を持つべきだし、その一方で 他人の生き方を頭ごなしに否定することはできません。もちろん程度の問題はある でしょうが、ゼロサムで考えるのは、あまりにも幼稚すぎます。

もう20世紀は終わったんだから、そろそろ頭切り替えたらどうだろう。毎度のことだが、 自戒もこめてそう思う今日この頃。

これはひどい

最後に、こういうことを書くと、多分「何を東大生が偉そうなことを」みたいな反応が 必ずある。反応でないにしても、無意識下でそう感じているひとは確実にいると思う。

隣人は立派 将来有望 才能人

そんな奴がさぁ 頑張れってさぁ

怠けて見えたかい そう聞いたら頷くかい

死にたくなるよ 生きていたいよ

才悩人応援歌 – BUMP OF CHICKEN

こういう感情だよね。僕もよく感じる。でも、それを思うのは勝手だけど、 自分が目指す何かがあって、もしもその目標のために確実に必要なものだとしたら、 誰が言ってるとかどうでもよくて、言ってる内容で判断すべき。もちろん、 そういう判断の元で、「これはひどい」なら別にそれでいいと思う。全ての人間に すばらしいと言われることは原理的にありえないのだから。

ちなみに、また繰り返しだが、ちょっと前までの僕は完全にこのドグマに囚われていた。 いわゆる天の邪鬼じゃないが、指示をされるとやりたくなくなる様な人間だった。 そのくせ、自分じゃ何もできない、まさに中途半端・二律背反極まりない。

別にそれをポリシーとして貫き通すだけの理屈があって、それで十分な物が 得られるのであれば、誰も止めはしないだろうが、組織においてはそういった いわゆる「挙動不審」は、もはや迷惑でしかない。

これは研修の中で言われて一番グサッときた言葉だった。 DeNAが求める「良質な非常識」と「挙動不審」は明確に線引きができる。 挙動不審は迷惑なだけだからやめてくれ。これが組織が組織たる理由だと思う。 自分の挙動は自分だけのものじゃない。

デジタルツールで特殊知識と一般的知識を集められないか

ということで、「アイデアの作り方」だけど、多分少し前の僕が読んでいても、 「はいはい、みんな言ってることだよね」で、無視していたと思うが、 昨日読んでみて、これは僕の目的のために明らかに必要な手段だと思ったので、 やっていく方法を考えてみたい。

梅棹先生の京大式カードもありかも知れないが、管理できる気がしないので、 なんとかデジタルツールでやる方法がないか考えたいなぁ。

そんなことを思う今日この頃でした。首が痛いのでぼちぼち限界。

追記6月4日

二分法について、ちくちく突っ込まれるので、一応ご参考までに、 以前書いたエントリを掲載しておきます。気になる人はこちらもどうぞ。

通りすがり 09-05-18 (月) 0:43

「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」っていうことですね。
自分の業種もルーチンワークの大事さを理解できない人は採ってないみたいです。
先日、TVで旅館で皿洗いをしてるおばさんを馬鹿にしてる女子大生が出てましたけど、なんか違うなって思いました。

田舎の人 09-05-24 (日) 2:35

すいません。よく分かりませんでした。
結局優越感から逃れられないんでしょうね。

つーかー 09-05-24 (日) 21:44

はじめまして。こんばんは。変化を求めるタイプの23歳です。

共感するところが多く、身につまされる思いです。

僕自身、変化すること、つまり成長することを第一に生きていますが、同時にそれが非常に難しく感じています。

エントリでは、『変化を求める人>同じ事を繰り返す人』という考えの危険性を指摘されてますが、それは個人が成長するにおいても非常に大切なことだと思います。

つまり、「変化を求めるばかりに、地味に同じ作業を続けることを軽視してはいけない」ということです。とても考えさせられるエントリでした。

ありがとうございました。

きむきむ 09-05-31 (日) 3:38

非常に共感できるエントリでした。両タイプの絶妙なバランスで世の中が成り立っていて、どちらの人間が自分の方向へとベクトルを引き寄せようとしたところで、結局は強大すぎる力と数にバランスさせられると思います。ただ、両パターンをもう頭や感覚で理解している人もいて、どちらかでいることがくだらなく感じている人もいるでしょうね。筆者もそうかと思いますが、そうなるとただ突っ走るだけはできなくなっていきます。どうしてもいろいろと考えてしまいますね。いきなり抽象的ですいません。通りすがりの25歳です。

通りすがりの田舎者 09-06-01 (月) 8:34

通りすがりですが一言。
かつての自分より視野を広く持とうとされているようで、素晴らしいと感じました。
私にも「世界を作りかえる人=優れている人」という認識を持っていた時期があり、共感を持って読めました。

その上で言いたいのですが、その本に挙げられている二分法には大きな欠陥があります。
それは、保守的な仕事にも想像力が必要な場合があり、その比率は決して小さくはないということです。
例えば、自治体の上級職員や営業職全般(完全固定顧客の場合は別かも)、教育関係者、医療関係者、司法関係者などが挙げられますが、そのほかにもいっぱいあるでしょう。

仕事のタイプが違う事が人間の優劣を決めるわけではないという事には同感ですが、仰ってる分け方については、それ自体がすでにややいびつな見方だと感じた次第です。今後とも、より広い視野を手に入れられるよう頑張ってください。

riywo 09-06-04 (木) 0:48

一点だけ。二分法については前にエントリ書いてるのでそちらを読んでもらえると助かります。

二項対立に属さない人への二項対立への関わり方 – As a Futurist…
http://blog.riywo.com/2008/06/21/015100

通りすがりの田舎者 09-06-12 (金) 0:09

09-06-01 (月) 8:34にPOSTした者です。
「二項対立に属さない人への二項対立への関わり方」のエントリを拝読いたしました。大変興味深い内容でした(いろいろ自分の過去を思い出して身につまされもしましたが・・・)。しかし、そのエントリの内容からは、私の前コメントが無用のものだったということをはっきりとは見いだせませんでした。
「二項対立~」のエントリを読んだ上での追加の感想を書こうと思ったのですが、なぜか挑発的な文章になってしまったので全文を投稿するのは自粛しておきます。
ただ、その過程で一つだけ自分にとっても新しい発見(?)があったのでそれだけ書いておきます。以下のようなことです。

私が育った環境(関西のベッドタウンを幾つか引っ越しして回りました)は、「田舎vs都会」よりむしろ「関東vs関西」意識が支配的な場所だったのですが、riywoさんが育った地元が「田舎vs都会」意識の支配的な場所だったのではないでしょうか。
であれば仰っているような認識になるのも無理はないと思います。
ただ、私としては、(上記仮定があっていればですが)それは貴方が思われているほど普遍的な認識ではない可能性ぐらいは指摘しておきたい所です。

riywo 09-06-12 (金) 3:44

>通りすがりの田舎者 さん

コメントありがとうございます。

「関東vs関西」意識が何を指すのか、この短い文脈では分からない
人が多いのではないかと思いました。

なんと言うか、ブログや増田を書かれた方が良いと思います。
その上で、TBとかを飛ばして頂ければ幸いです。
僕は方法論的多元主義を取りますので、どんな意見もアリだと
思っていますから、非常に楽しみです。

てんてけ 09-07-17 (金) 7:30

はじめまして。
かなり興味深いエントリですが、一点。
riywoさんが“田舎の人”と個人的な知古を得ていないからこそのエントリじゃないでしょうか?
黙々と自分の責務を果たしている人であれば傍目にも尊敬の念が湧きますが、その人の本音と接したり、社会的な条件に目を向けると、割合としては少数であっても無視できない数の“幻滅”が集まりそうな気がします。

あと「アイディアの作り方」はマンガ家の「マンガの書き方」作家の「小説の書き方」が参考になる場合があります。
彼らにとってはテクニックは習得すれば済む話しで、アイディアを出し続ける苦労の方が深刻な問題ですので。

MIZ 09-10-23 (金) 19:46

たまたま通りかかりました。
私も人間には二種類、または3種類いるなと最近ずっと思っています。
ブログ主さんのようにその意味もありますが
私が最近感じるのは

Aギフテッドだったりで考えたり、法則性を見つけ出す事が得意な世界を良くしたいと思う人

Bふつうの日々暮らしている人 よい人

C人格障害の無いのサイコパスなどの人、どんなに説明されても反省することなく表では社交的、しかし裏では欲望のままに人を陥れる人

これらはIQで分かれているな・・ともかんじてしまいます。

Aの人からは、Bの人、Cの人の違いが分かります。

Bの人からは、Aの人にこつを教えてもらえばその人を見分けられます。

Cの人は、Cの人を見分けられません。自分と同じだとすべて自分にあるところだと思うためです。

ちょっと意味不明な書き方なのですが
最近これに気が付く人が多いな・・と思って
2種類いるときがついているブログ主さんにすこし共感して書き込んでしまいました。

ふむ? 10-07-05 (月) 14:21

また二項対立だw「都会の人」「田舎の人」
都会の中に田舎の人がいて、田舎の中にも都会の人がいるのに。

いわゆる天の邪鬼じゃないが、指示をされるとやりたくなくなる様な人間だった。 そのくせ、自分じゃ何もできない、まさに中途半端・二律背反極まりない。

「二律背反」って、こういうときに使う言葉じゃないよ。二律なんだから、「~しろ」という命題に対して「~したくなくなる」はよいとして、「~するな」という命題に対して「~したくなる」が正しい。「自分じゃ何もできない」のはいずれにしろ、何もできないということで、背反してない。
言葉の定義には慎重にならないといけないと思うよ。

有吉 10-07-29 (木) 1:23

一個の視点から見て、誰からも好かれやすい、また、自分を前向きに考えられ、そして、相手も傷つけない形の、的を得た考え方だと思います。
人間には2種類あるけど優劣はない・・・はあまりにビジネス的で極端で仕事のことや社会でどれだけ高く飛べるかという結果のものさしでしか判断してないと思うので、ある一つのベクトルで見れば、普遍的で好きな考え方の一つでした。
逆に人には一定のものさしを使って
優劣があると過程して考えてみたんですが、
それは、人にとって好ましくないことでしょうか。
優が劣をばかにするということと、
優劣があるということを同意に考えているようにとれますが、
それは違うように思います
ある指標において優劣があることは真実で、
劣があるからこそ優がある。
他人を人間として尊重すべき心があれば、優劣があっても優が劣をばかにすることはないと思います。

John Doe 10-11-15 (月) 1:48

人間に優劣は明確にありますよ。
有るのです。

6po5inubystsr 14-01-14 (火) 17:54

物事なんて一概には言えない この言葉以外には。
人を型にはめてどう見るかは勝手だけどそれはあなたの主観から見た物だという事を忘れてはいけないよ。 もちろんこれも俺の主観だけどな。