自分と違うタイプの人間と付き合うことの重要さ

僕の短い人生、狭い世界の中でもいろんなタイプの人間に会ってきました。 タイプを区分するときのメインの軸としては「自分と同じタイプ」か「自分とは違うタイプ」かという ポイントになると思います。大抵の人は「自分と同じタイプ」の人間と居ると「安心」するし、 「自分とは違うタイプ」の人間と居ると「不安定」になるものでしょう。でも、そこで「安心」に 安易に流れるのは良くないなと最近思っています。

自分と似たタイプは「楽」

自分と似たタイプの人間と会話するのは楽です。特に細かく説明をせずとも、大体感覚が共有できているので、 話すのも楽だし、興味の方向も似ているので、ニュースなんかでも自分が知っていることは相手も知っているので 本質的な話をすぐすることができて、生産的でもあります。

だから、人間は大抵似た人と「群れ」て生活しています。特に小中高時代を思い出してもらえれば、 ファッションに命をかける人達と、アニメの話ばっかりしているオタク連中とは基本的に集まることが なかったはずです。この辺の話は、「ハッカーと画家」で有名なポール・グレアムの「どうしてオタクはもてないか」 なんかを読んでもらうといいかもしれないです。

自分と違うタイプは「不安」

自分と違うタイプの人間といるときの不安感はたまりませんね。僕はオタクでファッションとか興味のない人間ですので、 テレビ大好き・ファッションに命をかけてる人と話をすると、同じ日本語を話しているとは思えないくらいに 不安になります。自分が全く価値を見出せないポイントに価値を見出している人間と一緒に居ると、大抵の人は 自分の価値観が破壊される恐怖に怯え、その人との関係を絶とうとします。自分の中で勝手に「こういう人間と 話していても何も得られない」ということを決めつけて、無視をする様になります。

自分のことを話せば、高校で進学校に進んだのは、多少なりとも似たタイプの人間が多いだろうと思ったからだし、 東大に来たのも同様の理由。で、実際どうだったかと言えば、思った程に自分とは同じタイプは少なくて、 所詮マスな人間しかいなかったというのが感想です。そうなると、結局先ほどの後者に当てはまるのでどうしても 無視をしたくなります。実際僕は大抵の人間と大したつき合いはしませんでした。だから結局前に書いた通り 「脳内引きこもり」が助長されたわけで、仮面の付き合いばっかりやってました。

興味拡散するなら、「不安」を「成長」に

そうやって過ごして来て、いざ社会に出てみて思ったことは、自分と似たタイプの人間と群れて過ごしているだけだと ものすごく世界が狭いということです。自分と同じタイプの人から得られるものは、自分が知っていることと 大差のないことばかりです。確かに、それを深めることはできるかもしれませんし、それで人生満足な方も いるかもしれません。でも、僕は最近流行の「興味拡散系」であることが分かって来たので、それだと非常に つまらないということがわかってきました。

自分と違うタイプの人間と居ることは、自分をとても不安定にさせますが、同時に圧倒的に成長できる可能性を 秘めています。自分が興味のある小さい世界で人生満足な人なら、自分と似たタイプの人間と群れている方が むしろ生産的かも知れません。ですが、それで満足できないと思っている人は、自分と違うタイプの 人間と「敢えて」付き合うことをしていかなければなりません。文句を言いたくなる様な人間は大抵 自分とは違うタイプの人間で、そういう人と生産的な付き合い方ができる様になると、驚く程成長できるという ことがわかると思います。もしも、文句を言いたくなったときに、すねてキレて関係を絶ってしまったら、 そこで成長の可能性は閉ざされます。

今更ながら、小中高大のころからそうやって過ごしていればよかったなぁと思わずにはいられません。 自分で自分の世界を狭くして、それでいて勝手に「なんでこんなに狭い世界しか教えてくれなかったんだ」と むかついていたわけです。なんて愚かなんでしょう。少なくとも、このエントリを読んでくれた興味拡散系の 若い人達は今すぐにでも「自分と違うタイプ」の人間とのつきあいを大事にして欲しいなと思います。

自分はオタクだと思うのなら、ギャル男との付き合いがもしあればそれはすごい大事にした方がいいし、 自分がギャル男だと思うのなら、すぐに引きこもるオタクとコミュニケーションする機会があるなら 大事にした方がいいです。その時には「何でこんなクズと会話しなきゃいけないんだ」と感じるかも 知れませんが、いずれ10年も経過した後にはあなたの成長の糧に必ずなっているはずです。