YAPC::Asiaで人生変えられました

もし、自分が YAPC::Asia に参加し続けなかったら、と想像するだけでゾッとします。それぐらいに、今の自分の中には YAPC::Asia での経験が息づいています。それが今年で一段落ということで、とても感慨深いです。というわけで、遅くなりましたがYAPC::Asia 2015の参加エントリを書きました。

YAPC::Asia 遍歴

2010

YAPC::Asia2010 に行ってマジ感動した

初参加は Web のエンジニアとして働き始めて 1 年半くらい。この頃は本当に全然コード書けなくて、それでも参加してガツンと殴られたというか、来年絶対しゃべってやる!というモチベーションでここからの 1 年間がんばりました。

2011

YAPC::Asia 2011 に参加してしゃべってきた #yapcasia

初めてのトークセッション。しかもスライドは苦手な英語でやってみたのでとても苦労したのを今でも覚えています。でも、トークをしたおかげで色々と自信もついたし、懇親会や芝生などなど堪能できるようになってきました。

2012

YAPC::Asia 2012 にフル参加してトークと LT もしてきた #yapcasia

スタッフ以外のやれることを全部やってフル参加した年でした。トークでも発表した Touryo は初めてスクラッチから書いたツールで、やっと自分も少しはコードが書けるようになってきました。また、この直後からアメリカ勤務が決まっていたので、思い切って英語での発表にも挑戦してみました。前日飲み過ぎて死にかけていたのを思い出しました。。。

2013

この年は日本に帰らなかったので、残念ながら不参加でした。

2014

YAPC::Asia 2014 に個人スポンサーで参加してきた

この年は発表できる内容も無く仕事も立て込んでいたので、原点に戻って一般参加のみでした。トークを聞くだけが YAPC じゃないということで、そこら辺でたくさん立ち話したり懇親会を楽しんだりしてました。

2015

そして、今年が最後。唯一の心残りは最初の参加からずっと思い続けていたスタッフ参加でした。なので、今年は万難を排してボランティアスタッフとして参加することを決めていました。(残念ながら土曜日は参加できなくなってしまったのですが。。)

成長

ただの参加者だった 2010 年から比較すれば、全てにおいて成長したと思うし、それは YAPC に支えられての事だったと思います。コードも書けないという劣等感を与えてくれ、それを克服する舞台を与えてくれたこと、英語にトライできたこと、懇親会などでしっかり話をするということ、今の自分が価値をだせる部分は YAPC をきっかけにして育ててきたものばかりで、感謝しかありません。

もしも 2010 年に参加をしていなければ、どうなっていたか。。。。本当に思い切って参加を決意して良かったと思います。そしてその後も継続的に参加を続けてきたからこそ、毎年が楽しみで生きることができました。

貢献

微量ながらもトークセッションで貢献できたことは良かったと思っていますが、最終回にボランティアとして貢献してすこしでもお返しをできたかなというのが本当に良かったです。

スタッフとしては、前半は受付業務を担当してました。個人スポンサーの受付だったので、知っている顔の方も多くなんだか不思議な感じでしたw

金曜日の途中からは受付の波が収まったところで、セッションの司会の方にまわりました。幸運なことに、ベストトーク賞を受賞された hitode さんの「Perl の上にも三年」を司会することができましたが、このトークは本当に素晴らしかったです。これぞ YAPC::Asia のベストトークにふさわしいと感じるものでした。もしまだ見てない人がいたら、以下の動画は必見です。

感謝

これまでの YAPC::Asia を支えてきた全ての方に本当に感謝です。運営、スタッフ、スピーカー、スポンサー、そして参加者全ての方に。

また、Perl のコミュニティには本当に救われました。今では Perl を書くことは皆無になり、趣味で書くコードも Ruby や Go のことが多いのですが、それでも Perl をやっていてよかった、Perl のコミュニティにいてよかった、といつも感じます。これからもよろしくお願いします。

最後に

自分が YAPC::Asia のおかげで成長できたことを考えると、これからエンジニアとして駆け出す人にとって YAPC::Asia の様な場がないのはとても不幸なことだと思います。なので、同じような体験をできるカンファレンス等があれば僕はこれからも全力で貢献していきたいと思っています。