退学して就職した2009年をやっと振り返ってみた

あけましておめでとうございます。あまりの忙しさに結局年内に 2009 年を 振り返ることができなかった riywo です。実家に帰って、多少時間ができたので そろそろ書いてみようかと思いました。とはいえ、もう 2 日後には仕事が始まるという 状態ではありますが。。。

大学院に退学願を提出したのが 2009 年だったということをすっかり忘れてしまうくらいに、 ものすごい変化をした 1 年でした。あの頃が遥か昔に感じられます。

さっき改めて、「修士論文の代わりに退学願を提出してきた」を 読み返してみました。このエントリはまさに退学願を提出したその足で 2 時間くらいで一気に書いた 文章になりますので、かなり荒削りなものになっていますが、あの大学院の 2 年間で 積もり積もったものを書き連ねたものですので、今でも全く気持ちは変わっていません。

改めて当時の分析を振り返ると共に、そこからの変化という部分を書き記していきたいと思います。

退学という道を選んだあの頃を振り返って

大学との縁を切って約 1 年。あの時の判断に対しての後悔は全くありません。 多分退学を決意し、また周囲にもその決意を漏らし始めたのが 2008 年の夏頃だったと思います。 その約半年間を、明らかにこれからの人生に関係する可能性が限りなく低いことに費やすことなく、 自分の思うがままに生活できたことは、今になって思っても絶対に間違いではなかったです。 あの半年間でコミケにサークル参加したり、色々勉強したりしたわけですが、 それは確実に今に活きています。仕事が始まって明らかに忙しくなった今から、 あれをやろうと思っても絶対できない。その意味で、あの期間に色々できたことは幸せでした。

僕が大学を離れると時期を同じくして、とある先生が定年で大学を卒業されて行きました。 リアルに授業を受けた先生の中で、僕が唯一私淑している先生でした。 先生は僕が忌み嫌っている大学、大学院、学者とずっと同じ大学に残り続けるという道を 歩まれた方でした。けれども、先生のビジョンに僕は感動というか、勇気づけられています。 大学と縁を切るギリギリのタイミングで先生に出会え、話を聞けたということは あの大学に対して唯一感謝している点かもしれません。

結局、外から見てどういう道を歩んでいたかということは、現在その人を判断するにおいて、 ちょっとしか影響を与えていないのだと思います。その過程で何に気付こうとして、 今何をしようとしているのか。そこが明確になっているのであれば、実際の例が 一体なんであったかは関係なく、そこで培った知的思考こそ今その人からあふれだすもの なのだと思います。

そういう意味では Twitter はその表現ツールだと思います。僕が Follow するかどうかの 基準として選んでいるのは「その人の脳みそがそこにはみ出してきているかどうか」です。 どこかにある情報を自分の脳みそを通さずに垂れ流す人に興味はないですし、 何かの肩書きで有名だからというだけでは見ていてもさして面白くないです。

今、その人はどういう思考をしているのかが、激しく露出している人を TL で眺めていると、 ものすごく参考になります。もちろん同意できることばかりではありません。ただ、 その思考をこちらも感じ取ることができるという点で非常に勉強になります。

別に Twitter だけが脳みそをはみ出させる場所ではないのですが、はみ出しやすいのは 事実だと思います。僕はこの 1 年は Twitter に対してはみ出させることができませんでした。 ちょっとその点は残念でしたので、2010 年はもうちょいとがんばってみたいと思います。

初めて社会人になったその直後の衝撃

さて、4 月になって念願の仕事を手に入れました。4 月から今までを振り返ってみると、 自分の中でかなり変化というものがありました。

悪いくせで、4 月の時点ではまた「自然体でやってればまぁ僕は優秀だろう」という 思考が頭を支配していたと思います。先輩社員なんてのも、大半は大したことが ないんだろう、僕は優秀だから適当にやってればまぁのし上がっていけるだろうと。 いい加減学習をしない脳みそなので、「新しい環境」というものに入るタイミングで いつもそうやって考えてしまいます。多分そういうタイプの人間はたくさんいるんじゃないかな。

ただ、自分で言うのもあれですがうちの会社の研修はすばらしかったです。 少なくとも僕は、1 日目でその鼻っ柱をへし折られました。いや、違う。 自らへし折ろうと思って、折りました。こんなのは初めてでした。

実は大学に入ったタイミングでこれに少し期待をしていました。つまり、 きっとこの大学には自分よりも優秀な人が山の様にいて、いつものこの無駄な 天狗鼻をへし折ってくれるのだろうと。まぁこうやって書いているから 分かるとは思いますが、実際は全く様子が違いました。自分が優秀だったとかいう ことではなく、所詮同年代の人間にそれを求めるのが無駄だったということです。 なので、結局大学では最終のタイミングまで鼻が折られることがなく、 残念な生活を送ったのでした。

会社は違いました。役員陣は圧倒的に優秀でした。ただ 1 時間程度の講義を聞いただけでしたが、 全員に対して僕は「遠く及ばない」と感じました。さらに、その後 OJT で仕事というものを 初めてやりました。システム職を希望する人間も関係なく、営業や企画の仕事をやりました。 そこで、現場の先輩社員に出会いました。同じ様に「遠く及ばない」と感じました。

なぜだろう。確かに大学でも偉大な大先生や優秀な先輩は居たはずなのに、こういった 気持ちにならなかったのは。多分、僕の側の「覚悟」の違いだと思う。

大学では結局その道で生きるつもりはとりあえず無かった。従って、「まぁこの人たちは この道で勝手にやってれば。僕は違う道だし。」という気持ちが少なからずあった。 こんな歪んだ目で見ていれば、良いものも良く映るはずもない。

今回は違う。僕はこの道を「正解」にする必要があった。この選択を「間違いでない」ものに する必要があった。でなければ、僕に生きる価値はない。その覚悟が、状況を冷静に 捉えさせてくれました。

一度、ゼロ地点からのスタートになったことを初めて体で理解しました。 同期の他の人は、バイトだったりサークルだったり旅行だったり、いろいろと人生経験して、 その上で仕事が始まる。一方僕には、これまでおよそ社会との関わりというものが無い。 ディスアドバンテージ。これは屈辱だった。何が何でも一気に追い抜く。 そんな決意がなされた研修でした。これまた以前の僕では想像も出来ない様な 気持ちの持ち様でした。また一歩成長できたのだと思います。

本格的に「仕事」が始まって

システム配属が決まり、本配属になって、初めて自分のフィールドというのが 作られ始めました。配属直後から、この部分は「僕にしか」できない、というのが いきなり与えられていきます。もちろん、優秀な方々にとっては時間を少しかければ できるようなものではありますが、そのちょっとの無駄な時間を、僕が死ぬ程追いかけて フィールドを埋めることで省略できるのであれば、これは確実に価値のあることです。

この「僕にしか」というのが仕事をしていて圧倒的に心地よいです。別に属人的という意味ではなく、 他の人に「これは riywo に聞けば分かる」という風に思ってもらえる部分が少しでも増えることが まさに給料に直結しているというのが感動的です。

少なくとも僕にとって大学は違った。僕にしか、というものを感じられる分野にいなかった。 いつもいつも、「あぁ、こんなの僕がやらなくてももっと優秀な人がやればいいや」としか 感じられなかった。それは結局、あの分野に対してコミットしたいと思わなかったから。 自分のチョイスミス以外の何者でもなかった。

今、心から勉強したい「教育」という分野においては、多分僕は今と同じ気持ちを持てると思う。 尊敬できる先生の下で、その先生の無駄な時間を少しでも省くところから勉強を始めることが できると思う。あとは、そのためのお金を急いで獲得することと、尊敬できる先生を探すことだ。 これはこの先数年間の課題。

その際のシミュレーションと、給料獲得のため、仕事のできない riywo 君は死ぬ程仕事しています。 仕事のできない人が仕事のできる人より短い労働時間で、アウトプットできるはずがない。 他人の何倍でも働く。勉強する。おかげで Blog も Twitter も全然出来なかった。でも後悔はない。

初めてだ。初めて、「ひとつのこと」をやっていて悩むことがなかった。器用貧乏でいつも ひとつのことだけをやり抜くことができなかった僕が、初めてひとつのことだけをやっていて 満足している。これに自分で感動している。だから、今持てるすべてをそこに注ぎこんでも 何も後悔しない。その分できないことは確かにたくさんあるけれども、今はこれでいいんだと、 初めて思えた。

大学受験の時でさえ、アニメと特撮は欠かさなかった(どれみと龍騎だからしょうがない)僕が、 テレビも全く見ることなく、ひたすら仕事だけをしている。アニメが見れずかなり悔しいのだが、 痛し痒し。今はしょうがない。初めてそう思える。

というわけで今

そんなこんなであっと言う間に年末になってしまいました。「やれること」は明らかに何十倍にも 広がりました。入社当初は「MyISAM と InnoDB って何?」とか「Apache ってどうやって起動するの?」とか 言ってた僕が、今では「InnoDB の cluster index を考えると、index はこうした方がいいのでは」とか 「mod_rewrite だとこんなバグがあるのを見つけた」とかやってる。インフラやってるので プログラミング自体のスキルはそこまで上がっていないかも知れないが、リーディングの能力は 格段に上がったと思います。

それでもまだ小さい。全然小さい。所詮 1 年目。悲しいかな、全然しょぼい。これではまだまだ 金が稼げない。留学等々に向けてまだまだ金が貯められない。今は粛々と勉強する日々。 Linux についてともかく詳しくなる必要がある。でも一つも無駄なことはない。すべてが 僕の血となり肉となり、いつか食いっぱぐれた時にでも役に立つものになりつつある。 これはかなり安心できることだ。僕はこの先「教育」を勉強したとして、その先何ができるか 全く見えていない。きっと食いっぱぐれる。その際にもとりあえず食いつなげるだけの 「スキル」は身につけたかったので、これは幸いだ。

という訳で、多分同じ調子で 2010 年も仕事できない分だけ、必死でたくさん仕事をすることに なると思いますので、web の方にはあまりコミットできないかも知れません。 でも、どうか忘れないでいてあげて下さい。。。

最後に迷える子羊へメッセージ

さて、最後にこの時期はきっと迷える子羊が増える時期だと思います。かく言う私も 調度 3 年前の大学 4 年の頃、初めて人生突き詰めてみた時期であります。自分が経験した それぞれのフェーズの子羊達へ、私なりのメッセージでこのエントリは最後にしようと思います。

大学受験なんだけどどうしよう

高 3 はもう目の前が受験でしょうから精一杯がんばって下さい。別に受かっても落ちても 大したことはないです。ちなみにこんなこと言うと怒られると思いますが、僕は浪人しなかったことを 後悔してます。もし浪人の 1 年があれば、きっともっと視野が広がってただろうにと。

これから大学受験を迎える方々は、よくよく考えて進路を決めた方が良いです。 大事なのは、所詮 17,18 のガキの頭では大したことはわかりませんので、周りのオトナを 重々活用して下さい。リアルな人間嫌いなら、別に本でも構いません。自分のしょぼい頭だけで 考えて、後から後悔するような選択はなるべくしない方が幸せです。なぜなら人生は 80 年くらいしか ないからです。

卒業論文があるんだけどどうしよう

卒論提出を控えている人は、精一杯がんばって下さい。別に出せても出せなくても 大したことはないです。ちなみにこんなこと言うと怒られると思いますが、僕は論文出さずに 留年しなかったことを後悔しています。もし留年の 1 年があれば、きっともっと視野が広がっていた だろうにと。

これから卒論提出を迎える方々もきっと同じ様に嵌る人が多いと思いますが、1 年、2 年程度の ダブりとかあまり気にしなくていいです。ただし、卒業してしまうと一般的な新卒採用が受けられないので、 そこだけ「十分に」考えて卒業して下さい。

就職活動はじまるけどどうしよう

学部 3 年、修士 1 年の人はそろそろ就職活動の時期かと思います。新卒採用は最強ですので、 いろんな企業を見て、十分に考えて選んで下さい。就職が厳しい時期なのは十分承知ですが、 安易な選択はきっと後悔します。名前だけで選んで後悔しても知りません。もう 22 歳/24 歳は オトナです。自分の頭をじっくり使って下さい。足りないなと思ったら勉強して下さい。

そして、きっとそうやって迷いまくる人にとっては、新卒採用でしか取りません、みたいな 企業は合わないです。世の中見てみれば、既卒可の企業とかたくさんあります。(一応、僕の会社も) これは!と思う企業があったら、直接人事に連絡取ってみるのも手だと思います。 それ位のとんがった人を求めている企業はきっと多いはずです。

大学院どうしよう

3 月卒業の理系の学部生の人は大抵がそのまま大学院に進むのだと思います。研究を 精一杯がんばって下さい。自分で選んだ道なのだから、自分の責任で進めばいいと思います。 運悪く途中で退学することがあったら、学費のことだけよく考えた方が良いです。僕は 丸々 2 年間分学費を払ってしまいましたが、M2 の前期で辞めてしまえば後期は払わずに済みました。 そこだけ考えて辞めるんならさっさと辞めてしまった方がお得です。

学部 3 年の人で院を考えている人はそろそろ大学院を調べたりする時期ですね。 これは例のエントリでも書いてますが、本当に「よく調べてよく考えて」下さい。 安易な選択はこの上なく後悔します。なぜなら、もうオトナだからです。間違った選択をすると 後で自分の選択が非常に恥ずかしくなります。ともかくよく調べて、この人は! と思える先生を探し出して下さい。見つからないのなら無理して行く必要ないです。 就職とかした方がいいと思います。

仕事始まるけどどうしよう

そして内定もらってる 2010 年入社の方々はもうすぐ仕事が始まりますね。 残念ながら、あなたは「会社の中で一番仕事ができない人」からスタートします。 そのことは頭では分かっていると思いますが、入社したらすぐに体で理解します。 そのタイミングでその現実を拒絶しないようにして下さい。それは単なる事実です。 無視しても無駄です。

あとはそこからどうやって先輩を追い越すかです。そこは自分次第になります。 環境に文句があるなら、そこで一番になって堂々と異動すればいいと思います。 オトナなんだから、自分の力で勝ち取って下さい。

おわりに

以上になります。ある意味、僕にとっては今年は昨年と比べれば変化は小さいかも知れません。 脳の成長という意味ではプラトーになってしまうかも知れません。でも、その分仕事で 成長して、給料の変化だけは激しかった、と言える 1 年にできれば良いなと思います。

コミケも出せるようにしたいところですが、現状考えると難しいかも。。。 みなさんの声援しだいになります。。。

それでは皆様、また 1 年がんばりましょう!

  • インキュベ 10-01-03 (日) 15:30

    はてブの「人気エントリー」から飛んできました。
    私も以前、院を中退した人間です。東大ではありませんが……w

    「修士論文の代わりに退学願を提出してきた」と併せ、とても興味深く拝読しました。
    私と riywo さんとでは考え方の異なる点もありますが(これまでの環境が違うのだから当然ですね)、
    社会人になった当初、先輩方を「スゴいな」と感じたのは全く同じでした。
    「プロ」としての重みが、そうさせるのでしょうかね。

    なお、もう 2 年前になりますが、ある本の感想にかこつけて、
    既卒の就職活動に対する考え方や経験談を書いたことがあります。
    お時間があれば、ご笑読ください。
    http://d.hatena.ne.jp/incubator/20080211/book1359

  • riywo 10-01-03 (日) 16:13

    インキュベさん

    初めまして。エントリ読ませて頂きました。すごい積極的な就職活動ですね。僕はとてもそこまではできなかったです。ほぼ今の会社しか受けてないです。

    みんながみんな中退する必要は絶対にないですが、こういう選択肢もある意味で「普通」と思ってもらえるようになると良いですね。

  • インキュベ 10-01-03 (日) 20:58

    riywo さん、まあひとつの会社を受けて決まるなら、それに越したことはないですw お目汚し、失礼しました。これからもよろしくです。

  • macchky 11-01-13 (木) 2:14

    自分は二浪中なんですが記事を読んで少し疑問?を感じました
    ・riywo さんは大学に入るとき何か目標?志があったのですか?
    ・東大以外の選択肢はあったのですか?(自分の意見としては悪く言うと東大は学問を学ぶ大学とは思わないので「官僚製造工場」)
    確かに東大生はそれなりの頭脳があるし東大の予算は 1 位だけれど

  • riywo 11-01-13 (木) 11:15

    macchky さん

    ・riywo さんは大学に入るとき何か目標?志があったのですか?
    ないです。

    ・東大以外の選択肢はあったのですか?
    ないです。東京に行きたかった&大学選ぶ時に学部とか決められなかったので。

    ただ、こういう選択はしない方が賢明ですよ、というのが僕の意見です。
    自分の頭で考えられるのであれば、よく調べて選ぶべきです。
    当然対象は日本だけじゃないはずです。